【また、娘の小葉は台所に立ちたがります。】
シンクの水を出しっ放しにしては、お皿を洗う真似やふきんで石鹸を拭き、邪魔して欲しくないなと思っている時に限って、執拗に手伝おうとします。乾麺が散乱したり、小麦粉がばらまかれたり、醤油を洋服に垂らしたり、お手伝いというよりは、いたずらにすらパパの目からは映ります。
数ヶ月前のイヤイヤ期真っ盛りの時、思いました。
「彼女の本意はどういうものなのだろう?」
「彼女は何を伝えようとしているのだろう?」
「嫌だという気持ちの向こうにあるものは何だろう?」
彼女がシンクに立っているのを横で様子をうかがっていると、いかにパパの洗いものを楽にしてあげられるか?をまるで研究しているように見えました。上手にできない自分に苛立つか途方に暮れてしまうか……。
乾麺は僕がとても好きなので、娘の小葉は上手に茹であげていつかパパに振る舞いたいと思っているかのように見えました。
小麦粉を散乱させる彼女を見て、ママと一緒にクッキーを作って食べさせたいのだと理解するようになりました。
【散歩した後のポケットの中の石ころも、パパを喜ばせたいものだと分かりました。】
食卓でわざとコップの水をこぼすのも、「安心して、水がこぼれても大丈夫だよ。」と教えてくれているように思えます。
泥だらけになったり、ものを壊したり、花火に突進していったり、彼女がする意味不明のように思える言動は、きっと僕に、「世界はとても安心できる場なんだよ。その世界をパパも楽しんで欲しい。」と伝えたいかのように思えます。
パパのことを大好きだからこそ、僕が親として我慢し、犠牲になろうとすると彼女は嫌がらせのように振る舞います。
イヤイヤを乱発し、意固地になり、僕に何かを分からせようとする彼女の態度に僕はもっと耳を傾ける必要があったと振り返って思います。
「何かして欲しいわけじゃないんだね?」と娘を見ながら思うことが多くなりました。
それよりも、「わたしのすることを見ていてね。」と娘の言葉に従うことにしています。
もちろん、途中で「何か手伝えることはあるかい?」と声をかけます。
ちゃんと必要なら、僕の申し出は受け容れられるし、却下されることもしばしばです。彼女の愛情表現、感謝や恩返しの方法は僕の予測を超えています。
ママやパパに何かしてあげたいんだよ、という娘の言動を信頼して日常を過ごしてみようと思うのでした。
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エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.75~我が子が世界に自由を見るために親は何ができるのか?(潤治編)