AMALIN STORY #11 Temple Of New Dawn 物語 ●2017年クリスマス&師走号● 〜〜〜オーストラリアから真夏のクリスマスプレゼント〜〜〜

オーストラリアのテンプルより、愛と感謝とともに〜

結局、今日の午後「クリスマスは家にきて家の家族と一緒にお祝いしようよ」っていうお誘いを受けました。
ここの家族のパティーに行くのは今年で三度目。
ピーターは家のお父さんくらいの年配だけど、私の大事な親友です。
ウッドターナーといって、木のボールやテーブルなどを作るアーティストですけど、もう随分なお年だし、力がどんどん弱くなっているせいか、最近では新しいアートの楽焼に凝っています。

こちらでは楽焼のことを「RAKU」というみたいで、それを新しい彼のアートにしようと努力しているのです。
80歳を超えても、いつも何か新しいことにチャレンジしているアマチュア アーティストのピーターは素敵なお爺ちゃまです。
十年くらい前に奥さんをなくしているから、ちょっと寂しいんでしょうから、よく一緒に晩御飯を食べにいったりして遊んでいる茶飲友達です。

このピーターさんは二件もご自分の家を建てているんですから、いつも私の家の問題に関して色々とアイデアもくれてお爺ちゃまの割には随分と助けになってくれています。

今日は新しい車(中古のパジェロ)を購入して「僕の予算よりも随分と高くついたけど、多分、これが最後の車になるだろうから、ちょっと贅沢した。」と言いましたから「いつもあと二十年は生きるっていってるくせに、どういう意味ですか?」と冗句で返すと「政府が免許を取り上げるかもしれないからね。」と言う。
そこで私「あなたの前のパジェロが数日前にぶっ壊れた時に、サムと冗句を言っていたんだけど『あの車よりも先にピーターの方がぶっ壊れるか? と思ったけど車の方がお釈迦になったわね〜』って話していたのよ」と言うと「また〜そんなことを言う!」と言いあい笑いあったのです。

こういうちょっとしたブラックユーモアの混じった会話は本当に信頼がないとできないから、なんだか、心が暖かくなる対話なんですよね。

それと、私側からは、この人、いつ死んでしまうかもしれないという何か物悲しい感覚もあるのです。
これはとても深い感覚なのです。

そうこうしている間に今週末から大体のお仕事はクリスマス・ニューイヤーホリデーに入ります。
子供達はすでに夏休みに入っていて7週間お休みだそうですけど、大人達は元旦まで休んで二日から仕事です。

それに関連して最近知ったことですけど、こちらでは夏休みの宿題なんて何もないんです。しかも、ホリデーに入る前の週はもう半分遊びなようなもので、ビデオなどを見るだけで勉強なんてしないでクラスを終えるんだそうです。

それに比べたら、日本の教育は遊びがほとんどなく、窮屈な教育システムになっていますね。
せっかくの夏休みなのに、毎日宿題が出されて、大体の子供は休みの間遊び呆けてしまうから、クラスが始まる数日前から宿題地獄になります。
私もそういう子供時代を過ごしたから、そういういぢめみたいな教育は、もうやめたほうがいいんじゃないかって、最近は特に強く感じています。

そういうコントロールされた締め付けが強い国民性は、もう小学校、いえ、多分幼稚園から押し付けられて始まっており、子供達はどんどん自由性をなくしていきつつ、創造性が弱い大人になってしまうんだな〜って感じています。
そこに気づくのにいっぱいセラピーを必要として、五十年以上もかかりました。

 

オーストラリアの子供たちは大自然の中でのびのびして育ちます。

こちらで生まれた(両親共に日本人の)血統的には純日本人の子供たちも、オージー教育の中で育った子供たちは日本の子供たちとは全然違います。
のびのび自由で、心も広く、デント地に足がついていて、優しいんですよね。
この辺の子供たちは、世界遺産の大自然の中で育っているから、とびきりにそうでしょう。

いつか、日本でもそういう自由な教育が起こることを祈りましょう。