私が住むオーストラリアFRNQファーノースクィーンスランドでは、夏真っ盛りの時期にクリスマスが起こります。
日本から来た私にとっては「ホワイトクリスマス」のあり得ないクリスマスは全く妙な感覚で、ここに住んで二十数年の間ずっとへんちくりんな感じが続いていました。
その上に私はシングルウーマンで家族も一人もいないこの国で、ひとりで過ごすクリスマスはまったくの異邦人、違法を犯した犯罪者でもあるごとくにとても哀れな人として扱われます。
この時期のオージーの挨拶は必ずと言って良いほど「クリスマスはどこで過ごすの? 何をするの?」から始まります。
去年くらいまではそういうやり取りに閉口して、ちょっといぢけていました。
と言いますか、実は内心、寂しい思いをしていました。
だけど、今年は「いぢけ」もなく、ちょっと良い感じなのです!
何が良い感じかといえば、ここ数日の日々、クリスマスに近づくにつれてどんどん静けさが満ちてくる感覚がとても素敵なんです。
ホーリー・サイレント・クリスマス! の感覚が静けさとしてしみじみと感じられるんですね。
新月二日目の今晩、新月のエネルギーがまだまだ強いからかもしれません。
今宵の二日月はとても静かに美しかったですもの〜
それと、私自身がこの地に根付いて来たのか(ここに住み始めて二十年後にやっと、2015年暮れからここが生活の中心になったからなのか)良い友達が周りにいっぱいでき始めたんです。
しかも、ほとんどの良い友達が瞑想仲間だからこそ、余計に内心の言葉が通じるんですね。
寂しいん(Lonelyness)じゃなくて、ひとりで在れる(Aloneness)ことの喜びがしみじみと湧き出てくる『静けさ』の感じかなぁ……この感覚……とても心地いいんですよ〜
実際に、この間もスーパーでクリスマスセール中のベジタリアン製品の買い物をしていると、バッタリ近所の友人に出会いました。
この友人のパートナーと大の仲良しで彼のお店を週末だけお借りして、マッサージやタロットセラピーなどをシェアしているんですけど、彼女のアナベルとも何かしんみりとしたハートにくる、
信頼できる友愛が育ってきているのがまざまざと分かる体験があったのでシェアします。
例によって例の如し「クリスマスは何をして過ごすの?」っていう彼女からの問いに対しての私の「リスポンスがいいなぁ〜」と自分でも感じながらミルク売り場の前で立ち話していたんです。
「私はシングルウーマンだし、家族も誰もここにいないから本当にサイレントなクリスマスを過ごすわ〜」って、軽く明るく、いぢけまったくなしで答えていました。
そうしたら「あら、私たちは息子のお山の土地でするパーティーに招待されているから、そこに行くのよ」とアナベル。
「あら、じゃぁ、キャンプするの?」と私。
「ううん、他にもいっぱい人が来るから、私たちはホテルをとってそこで過ごすのよ。だけど、残念ね〜、もしも、家で過ごすクリスマスだったら、アマリンも招待するのに〜」と彼女。
「あら、そのお気持ちだけでも嬉しいわ〜。では、来年はよろしくお願いしますね〜。」って笑いあって素敵で明るい対話ができました。
私からのネガティブな影がないそのままの応対に、彼女も明るく軽く、今回は誘えないけど誘いたい気持ちがあるのよ〜って、心から答えてくれたのです。
ほんの数分の立ち話だったんですけど、何か心の琴線にじんわりと触れる対話だったんですね。
この立ち話から、去年のクリスマスまではどこか寂しいな〜って思っている、うっすらとした影があったな〜って気づけました。
そして、『今ここ』の私の成長も見えて嬉しくなりました。
彼女とのつながりも少しずつ深まっているし、軽くて素敵だな〜って心底感じたのです。
そういう春風のような、すごく繊細な愛の流れを受けとることができるとき、心はとても静かに和むんですね。
何かが奥深くで安心できているんです。
ちょっと素敵でいい感じなの。