オーストラリアの大自然に学ぶことが私のイマココスピリットを肥やす!
Learning through the nature of Australia can grow our spirit to shine!
オーストラリアの大自然いっぱい、コアのブッシュランドに住み始めて早22年が過ぎ、日本で26年営んだセラピスト養成スクールを2015年にたたんでこちらのリトリートスペース「Temple Of New Dawn-新しい夜明けの寺院」だけに絞りこみ、100%こちらの住人として生き始めて早2年が過ぎようとしています。
サァ~、今回のテーマは何にしようかな~? と思っていたら、少し前に編集室の方に、オーストラリアのスピリチュアルについて書いてくださいと言われていたのを思い出しました。
オーストラリアのスピリチュアル? って感じてみる時、やはり、こちらの人には地に根ざしている上での自然なスピリチュアルの開花があるな~と心底感じいります。自然人・大地人ですね。
この地域にすべて移行しようと決める少し前の2014年のこと、あるとても純粋なエッセンシャルオイルに出合ってその純粋さに痛く感動していたのです。こうして思い返してみると面白いのですけど、何かが変化しようとする時には、私の場合にはほとんど必ずと言っていいほど、何かが去って何かが新しくやってくるようです。
古くてもう必要ないものは自然消滅していき、新しくて新鮮な何かが生き生きと行く先を照らし始め、「ここにいるわよ~」とキラキラ輝き始める。
そんな折に新企画の宣伝を兼ねて、スピリチュアルな人々の集まるある瞑想会に参加してみました。その瞑想会は多分、私がここに移住してきた22~3年前には既に稼働していたほど歴史のあるものですけど、私にとっては2014年6月頃のこの時期まで出向くご縁がありませんでした。それ以前は日本のスピリチュアル・瞑想・セラピーの仕事が忙しかったから別のものを始める心身の余裕もなく、こちらに帰ると隠者のように過ごしていました。そして、何よりも私のエゴが先に立っていたから行く必要がないと思いこんでいたように、今だからこそ正直に思い返します。
さて、そういう隠されていたエゴを超えるのに大きく役立ったのは、スピリチュアルな人(多くは知人)が集まるその瞑想会に、その新しいイベントの宣伝のためのビラまきに行くという言い訳(これもエゴです)だったように思います。
エゴを持ってエゴを超える!
OSHOは、エゴも大きければ大きいほど、熟した実が落ちるように、自然に落ちる。すると、地に落ちた実の種から新芽が出て、木が育ち、また実がなりと、永遠な生命の循環が繰り返されると、話していたように記憶しています。つまり、エゴをレットゴーするとは、その熟したエゴの実が地に落ちて土に触れて腐って死んでこそ、それが堆肥として栄養素になって種から新芽が出てくれるわけです。
エゴの死はとても大切なスピリチュアルなプロセスです。
これが起こらないと次のステージはあり得ないです。
話は戻りますが、週三度開催されるその瞑想会は想像とは遥かに違い、とてもシンプルで、パットという名の当時すでに70歳半ばを過ぎた女性の瞑想家を中心にみんなで一緒に45分ほど瞑想して、ベルが鳴って瞑想が終わったら、毎回違うパットのスピリチュアルな物語が話され、物語の最後に彼女がみんなに質問をして終わるという流れです。いつも、その時々(数週間)のテーマが準備されており、そのテーマを魂に絞り込むようなお話と、それに対して出されるパットからの問いかけに答えたい人が答えることで、なおさらその間のテーマを練り上げて、各々の内奥で問いかけがこだまする状態で終わります。
私の場合は数週間にわたって、その問いを瞑想している日々が続きます。まるで全マスターが弟子に出す『考案』のようです。
それ以来、徐々にだけど、私はパットに惹かれ始めます。彼女の仕草やそぶりや語り口調などから、彼女が本物の悟りを得ているスピリチュアルマスターであることが私に理解できると、ついに、何の言い訳の必要もなく、ごく自然にパットの横に私も一緒に座るようになっていきました。
今日もパットの瞑想会に参加して、みんなで一緒に座って彼女のお話を聞いて、皆んなでお茶を飲みながらパットの焼いてきてくれるケーキを食べてゆったりと和んでから家に帰ってきます。瞑想する場所は持ち回りで参加者の家で行われるという点も素敵です。無駄がないのです。
ここ二ヶ月くらいのテーマはDivine Archemyです。いろいろな錬金術にまつわるお話をしてくださいます。そして、そのお話が今の自分にどういう風に響きますか?と時には優しく、時にはとても強く鋭く、刺すように全員に問いかけるパットです。
その流れに、何か、とても自然な在り方があります。何かや誰かが特別とか、無理をして誰かになろうとか、どこかに行き着こうとか、そういうのが何もない、こよなく自由な瞑想会なのが素晴らしいと思うのです。
そして、マスタートリップをパットはしません。普通でワイズな女性として、瞑想中のエネルギーをホールドしています。そうそう、古くからの参加者でチャーミングなティナが話していたことを今も覚えていますが「ピンクのリップスティックをつけたマスター」だったから安心して参加し始めたって。
今はもう直ぐ78歳のパット、素敵・ワイズ・かっこいい!!!