9年周期数『1』の2017年は何をもたらすのか、
そしてその準備はできてるかしら?
今晩12月29日は、9の周期数だった2016年最後の、そして新しい始まり1の周期数である2017年に向かうとても大事な新月。
12月14日に行われたスーパームーンの満月の儀式では、ケアンズ近隣のトリニティービーチの海上に浮かび出る月の出に合わせ、この9年間プラスそれ以前から続いてきた私達の引っ掛かりパターンの「レットゴー」をサラと私のマチュアな女性二人でフォーカスし協力しあって一緒に浄化したのです。
どこかにひそんでいるかもしれないクロコダイル(10月ごろ夜の海につかって遊ぶ二人のうち一人が襲われたから)に恐怖を覚えつつも、満月をあびてキラキラ輝く砂浜の誘惑に素足で十分に太陽をあび、まだ温かな砂を踏みしめて、今ここにもう必要ない過去を手放した瞑想はすごくパワフル。
何か古くてカビ臭いものが「プヒョーッ」と奇妙な音を出して吹き飛ばされていったような、目には見えないけども内奥で何かが大きく動いた確かな感覚で、とても強烈な儀式だったのです。
その満月の夜以来この二週間ずっと、今晩の新月に向けて新しい種植えの
ための準備と熟成を重ねてきたのです。
だから、今朝夜明け前の新月瞑想では、ついにその成果のピークが起こったといえます。
30年近くもずっと観照してきたからこそ、内なる手放しが一層深まってきたこともみえていると同時に、瞑想で起こった静寂が周りの自然と恍惚たるノームーンの静寂と融合し溶けあってしまったようだったのです。まるで宇宙とメイクラブしているみたいに魔法の世界みたいで神秘的、しかもしっかりと地に足がつきハートも大きく開いていて、実に真に迫る瞑想体験でしたよ。
こういう瞑想が起こる時、宇宙遊泳しているみたいにすごく高くて高次の意識に溶けてしまったみたいな一体感があり、同時に大地に太く深く根を張った千年大木みたいに母なる大地と一体になっている、これは時空を超え天地を貫き垂直でとても気持ちの良い、しかも芯の通った意識的な感覚です。
オーストラリア時刻で夕方5時前の新月後、毎晩恒例の睡眠前瞑想の前に、ご縁あっていただいた新しいお仕事であるこのコラムのプロジェクトに向けて、2017年に向って流れる新月のエネルギーに乗って一言書き始めておくべきじゃないかと思いたち筆をとりました。
私にとっては過去9年はとてもチャレンジの多い9年周期でした。
ロマンスグレーのハンサムで素敵、インテリで仕事ができるオランダ人と、ロマンチックでお洒落な街アムステルダムに往き来する熱烈な恋愛もしたし、その熱烈さに負けないほどの大失恋もした。同時進行で家族間の相続問題にまつわるどうしようもないような馬鹿げた調停沙汰泥沼争いも起こったから、内心は相当辛かった時期。
挙げ句の果てに自己選択で子供を持たなかった私の愛児みたいな会社も去年解散させることになり手放したのも大きかった。ちょうど、311もおこった時期でもあるから日本国的な打撃も相当大きかったし、日本国は未だ復興していない。そういう全体的にも辛い時期だった。とここまで書いてくると、やはり、私は相当辛かったんだろうな~と他人事みたいに感じているけど、本人は以外と平気にサラっと通り抜けてきた。これは、客観性がなせる技だといえる。
そういう意味では1989年以来本格的に続けてきた瞑想が根付いてきていることが何よりも嬉しく、ありがたいことだと感じます。そんな2008年から始まった厳しい9年周期を過ごしてきて、この周期数9の2016年を終え、新しい9年周期始まりの周期数1の2017年を迎えるためには、本気で慎重にならざるをえないです。
なぜなら、前の9年周期は無意識のうちにあっという間に始まってあっという間に過ぎてしまったからです。だからこの次の9年周期こそ、意識的に気付いて愛に満ち瞬間瞬間目覚めて生きていきたいと心底願っているわけです。62年間生きてきた人生で一番大切に思うところは「イマココ」「愛と瞑想」の意識を日々の生活の中で使いこなして生きている人であることだけです。でも、力むんじゃなく、頑張るんじゃなく、修行するんでもなく、それが起こるのを許すだけです。
人生長きにわたり今ここに至れり、これ以外に何もいらない。
この新月パワーの元、そこをクリアにここに記しておきます。
「私、イマココ、愛、瞑想!」