心臓に手を当てて耳をすませると、「ドクン、ドクン」と鼓動が聴こえてきます。
それは私たちの生きている証でもあります。
ではその心臓の鼓動が止まったら?
この世界でいうところの「死」になるようです。
私たちの命はこの世界だけではなく、ありとあらゆるところに存在しています。
死後の世界と呼ばれるところにも私たちの命の一つの側面が存在しています。
でもそれも私たちの本質である純粋意識からみれば幻想です。
天使の世界、神の世界、私たちの認識できない世界もまた夢の中のことです。
なので、高次元の意識とつながった、ワンネス体験をした、それも夢の中の素晴らしい体験なのです。
悟り・非二元と呼ばれるものの本質は“ただの”意識のシフト。
なんの努力もいりません。
どんな祈りもいりません。
瞑想も修行も必要なく、今、この瞬間にできることです。
プンジャジ(パパジ)が言うように、悟りとは世界で一番簡単な自己実現とも言えるかもしれません。
世界中で目覚めている人が爆発的に増えていることからも、悟り・非二元とは「今この瞬間」にできることの証でしょう。
そうして私たちは夢(幻想)から覚めるのです。
なので、「今、この瞬間」に私たちはこの世界が幻想(夢)であることを認識することは可能です。
でもその夢は、私たちの本質である「今ここの純粋意識」の美しき創造物です。
幻想と呼ばれる活き活きとした真実です。
そう、幻想とは真実のこと。
そして真実とは真実なのです。
幻想=真実
真実=真実、です。
非二元とは二つにあらずということ。
だから幻想と真実を区別することはできません。
観る者と観られるものの二つではないのです。
ただただシンプルにそれが区別できないだけのこと。
区別をしたがっているのは、自我(エゴ)の働きにすぎず、それが非二元という世界への理解の混乱を生じさせています。
私たちの命はこの世界すべてに存在し、また多次元の世界すべてに存在する類まれなる輝きです。
「死」についてイメージをしている自我。
スピリチュアリズムを何かの特別なものだとうっとりと陶酔している自我。
悟りを苦しみから逃れようとするツールにしている自我。
ネオアドヴァイタといわれるティーチャー達が言っている「全てはただ起きているだけで、私がするべきことは何もない」ことを主張している自我。
それらは私たちの命の小さな小さな一つの側面を切り取って、ただジャッジしているにすぎないエゴのずる賢い戦略です。
ずる賢いといいましたが、エゴからすれば正しい戦略ともいえるでしょう。
私たちがなすべきことは、一つの側面だけをジャッジしている自我の働きの罠に陥ることなく、ご飯を食べたりお酒を飲んだり、家族や友達と語り、恋人と愛の交換をしながら、この世界でこの命を生き、死後、また別の世界で命を輝かせることです。
なぜならそれは、真実としての幻想の在り方だからです。
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