17歳の時に雑誌『VOGUE』に掲載された、高校の制服を着た冨永愛
拝啓 冨永愛様。ご無沙汰しております。仕事であなたに初めてお会いした時、「なんてキレイな人なんだ……」と、ただただ見惚れた記憶がございます。そして、にこりと微笑みかけてくれた時、すぅーと魂が惹きつけられるような感覚がし「この人の美しさは、そう、菩薩みたい」と思った次第です。
その冨永愛さんが出した本が「Ai 愛なんて 大っ嫌い」。
オビには「殺してやりたい。その怒りがわたしを華やかなランウェイに導いた。」と書いてある。なんて扇情的な、なんてセンセーショナルな……。それは、激しく気高く、そしてやさしい冨永愛さんのイメージを覆すものではなく、かえって頷かせるものだった。
貧乏。虐め。そして、愛。初めて明かされる冨永愛の心のうち
冨永愛。17歳ですでにモデル。家にも稼いだ分から毎月お金を入れていた。父親違いの姉妹2人と冨永愛と母の4人暮らし。母親は内職。それを手伝ってのたわいない話が小学校の家族の思い出だ。高校時代に住んでいた家を「それにしてもひどい家だ。~土壁にトタンを貼り合わせた、まるでバラック小屋」と述懐している。
彼女は心無い虐めにもあっていた。
「うすらデカい女も生理あるべ?(笑) 一発やらせろや! この巨人女!」
「あそこもでけえべ! なら二、三本ぶちこんでやるべぇ(笑)」
同性からの虐めにもあっていた。
「モデル事務所の社長とかに、やっぱやられちゃったりすんでしょ(笑)。キャーッハハハ」
彼女はある日、悪夢を見て失禁する。
冨永愛の中に芽生え育っていった気持ち。「殺してやる―――。絶対にぶっ殺してやる。許さない。」憎しみを肥やしにした彼女は、その稀有なスタイルを武器に世界に復讐の旅に出た。
十七歳四月高校二年生の春、彼女はマンハッタンに降り立った。モデルという、努力など見た目には全くかなわないという世界でも、「誰にも負けない」という気持ちだけを頼りにしながら、最初のニューヨーク・コレクションで、十三のショーの出演を勝ち取る。記録的な結果を出した彼女は、その後スターダムへと上り詰めて行く。白く輝く一筋のランウェイに、まばゆいフラッシュ。その瞬間、すべての視線の中心にいるのは冨永愛だった。それからのシンデレラ物語は、まるで彗星。三大コレクションに出る唯一のアジア人モデル。ELLE BAZAAR VOGUEなど世界のファッションを牽引する華やかな雑誌の表紙を飾り、そして、グッチの香水のキャンペーン、イヴ・サンローランのキャンペーンと一流ブランドの広告の仕事もこなしまさしくトップへと躍り出た。
ELLE BAZAARのカバーより
「いよいよ、ここまで来た……」
我ながら美しいと感じる写真に世界を駆け巡る旅。二十歳の冨永愛は、内側とのギャップに苦しみ、息苦しさを感じる。そして、落ちた恋。しかし、愛情を知らない彼女は、自ら別れを告げ、その恋に終止符を打ち、二十二歳で、「ちゃんとした家庭に育った青年」と結婚。一児を授かる。手にしたはずの愛。けれども、出産後半年でランウェイに戻り、夫とともに世界で奮闘した彼女に、また離婚という別れが来る。入籍して四年の二十六歳。
「青春だった。キラキラ輝く、それは青春だった。」
そして、彼女はジバンシィの専属契約を最後に潔くコレクションに参加するモデルを引退する。
ランウェイの自由から、孤独を力に変えた“愛”という自由へ
見た目で苛められた冨永愛は外見だけが勝負のモデルの世界で、求めてやまない注目を得た。その一瞬一瞬を「自由だった。距離にしたら、わずか三十メートル、長くても五十メートルくらいでも、それは永遠に続いているように思っていた」と、語る。
左上 Dolce&Gabbane2004 SS 右上 2010
左下 KENZO2006-7 AWより
その後、日本の芸能界でもその存在をかわれ、露出が増えて行き、素敵なシングルマザーとして、再び、彼女の実像とは違う冨永愛が作られていく。冨永愛が求めていたものは、もう我が手にあったというのに。「あきつぐ」。それが彼女の子どもの名前。
「これ以上のことは、求めても、もうないだろうと思えた。
生まれてきてくれて、ありがとう。
私のもとに来てくれて、ありがとう。」
これが彼女の子どもへのメッセージ。
離れる時間の多い子育てを選択した冨永愛に「……ぼく、生まれてこなきゃ、よかった」という言葉が向けられる。その時の感覚を彼女は、「鈍器で頭をぶちのめされたように感じた」と述べている。そして、無人島でサバイバル生活をするという番組の後、原因不明の高熱が出て、二週間も入院する。
高熱が彼女の中の何かを焼き尽くしたのだろうか。彼女は変わった。学校と自宅の途中にある小さな山で野犬に襲われることを「幸運」と表現するほど、悲しかった彼女はもういない。
「人間は、すべてを生きる力に変えられる。悲しみも、苦しみも、喉の奥が張り裂けて血を吐くような孤独も、人間というのは、すべて力に変えられる。
今、わたしは、それを確信する。」
この本は「最愛なる我が子へ」で始まり、彼へのメッセージで終わる。「わたしは幸せです。」
冨永愛様。この本を赤裸々に書いて下さってありがとうございます。しょっぱなに性的な虐めの描写があったことに、あなたの覚悟のほどを感じました。自分の生き方が誰かの役に立つならばと。最初に感じた菩薩のようなこの世のものとは思えない気品は、あなたの過去があるからかもしれないですね。今、苦しみの中にある人にこの本の存在を知って欲しいとの思いから、レビューを書かせていただきました。長い文章となりましたが、こうやって書きつつ私も愛されて生まれてきたと信じます。
また、お目にかかることを楽しみにしております。そして、それまで私もあなたに負けないように自分自身と闘って自分自身を愛していきたいと今感じています。
敬具
記
◇書籍タイトル Ai 愛なんて 大っ嫌い
◇著者 冨永愛
◇プロデューサー 長渕剛
◇出版社 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン
以上