エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.58~弱さを共有できるからこそ家族(潤治編)

父親、母親という役割

「夫が父性を発揮し、妻が母性を発揮する」 子育てをするようになり、よく聞く言葉です。
男性は子どもを叱り、社会というものを見せる役割であり、女性は子どもを受容し、思いやりを持って育んでいくという内容かと思います。

女性脳思考に偏りがちな僕と男性脳思考に偏りがちな寛子では、行動パターンや考え方が性別と逆転しているところがあります。それは結婚当初からお互いに戸惑うところです。

寛子が山登りに行きたいと言えば、僕は家で待っていることを選択し、男女の恋愛話になると盛り上がる僕の前で寛子は退屈そうにしています。

娘の小葉が生まれてきてから、その役割に変化は起きましたが、それでも男女逆転のようなところは日常のあらゆるところに見受けられます。

ですので、僕自身が父親としてしっかりしなくては!と思えば思うほど、身体は重くなり、思考も鈍化します。寛子は母親として頑張らなくては!と思うほど、視野が狭くなり、父性のような厳しさが際立って目につくようになります。

僕も寛子もお互いに娘のためにこの家族を運営していこうと必死になればなるほど、歯車が噛み合わなくなっていくのでした。

父親、母親という役割に自分の意識を投じてしまうことで失うものがあると感じるようになりました。
というのも、僕たち夫婦がその役割に徹している時、いつの間にか僕たちの感情や資質がゆっくりと死んでいくに気づきました。相手を尊敬する気持ちや好意が何かに隠されていくような気持ちでした。

相手を思い、家族を思っているようで、視野が狭くなって結局、何も見えていないという状態の自分を感じる日々が続きました。
そういう時、僕の場合は「分離」をしたがります。
決まって出てくる言葉は「ひとりにして欲しい、ひとりの時間が欲しい」というものです。

ここではないどこかに行きたい、身を置きたいという言葉が相手を傷つけることは想像に難くないと思いますが、逃避したい時の僕はとにかくひとりにして欲しいという状態に陥ります。
自分の考えや気持ちを整理する時間は誰にでも必要です。
そういう意味では「ひとりの時間が欲しい」という要求は当たり前のことかもしれません。

しかし、僕の場合は「逃避」が動機ですので、それが相手を傷つけるわけです。 相手へのプレッシャーとなりました。

「父親・母親であること」の前に夫婦として大切なもの

我が家に訪れた「父親であること・母親であること」のプレッシャーは僕たちの立ち位置を見失わせることがしばしばありました。それはとても娘の小葉を愛している証拠ですし、夫婦互いに大切に思っているからだと思いますが、そのプレッシャーは相手を愛する気持ちを萎えさせるものでした。

表面的なものを大切にして、根本的なことを忘れてしまったのです。(僕だけ…) 本末転倒です。

僕たち夫婦が「父親であること・母親であること」の前に大切なものは夫婦がお互いを尊敬することだと感じています。その尊敬はお互いに思いやること、本音を共有することから繋がっていくと思います。

お互いの持つ弱さを共有し、慰めあう時にその弱さへの思いやり、その姿を見せてくれる相手への信頼は尊敬に値するということでしょうか。

本当は何が怖いの?何が不安なの?何を頼みたいの?何が欲しいの?何が悔しいの?

相手との深いところでの気持ちの共有はとても重要です。
その共有が成されていないとさまざまな現実となって目の前に現れます。

娘の体調不良、感情の不安定、家族の体調、仕事のペース、収入…などです。

娘に起こる不調和を母親・父親としての僕たちの力不足のせいにしてしまうことで思い悩むことはいくらか少なくなりましたが、全く無くなったわけではありません。

今後、たまにはその幻のプレッシャーにさいなまれることがあるかもしれませんが、家族で怖れや寂しさ、弱さを共有していければと思います。

その姿勢は娘の小葉に良い影響があります。
そして、引き寄せの法則も強くなっていきます。

その因果は神さまだけが知っているのかもしれませんが、そのエッセンスを家族で楽しみたいと思います。

そして、父親、母親というものは成るものではなく、結果的にそうなっていることに気づくもの、ということかもしれません。