修道士の目は何を語るのか?情報に翻弄されやすい今だからこそ観てほしい『大いなる沈黙へ』

修道士たちはどのように時間を過ごすのか。

7月に東京で公開される映画『大いなる沈黙へ』
フランスアルプス山脈に建つグランド・シャルトルーズ修道院のなかにカメラが入り、修道士たちの沈黙と祈りの日々を映し出したドキュメンタリー。ドイツ人監督フィリップ・グレーニングが1984年に撮影を申し込み、構想から21年の歳月を費やして製作され、長らく日本公開が待たれていた。

グランド・シャルトルーズ修道院は、カトリック教会の中でもとても厳しい戒律で知られているカルトジオ会の男子修道院。修道士たちは毎日祈りを捧げ、自給自足の生活を送り、一日の殆どをひとりで過ごす。会話は日曜日の昼食後、散歩の時間の数時間のみ。沈黙と祈りの一生を過ごす。

グリーニング氏ただひとり、照明もなし、カメラのみを持って6ヶ月間修道士と共に日々の決められた勤めをし、独房で生活をした。完成した作品には礼拝の時の聖歌以外の音楽はなし、ナレーションも一切ない。それが撮影の条件だった。

その映像には静寂の美しさ、澄んだ空気感が伝わってくる。そして観ている側の人間をその静寂な世界の中に吸い込まれていくように映像と観る側の隔たりが薄れていく。日々の生活のありのままを映し出しているだけなのに瞑想をしているように感じてくる。
修道士の顔が映し出され、自分を見つめられている氣がしてくる。それはいつしか自分の顔のように見え、自分の心が常にYESと言えているかどうか?問われているかのように感じてくる。その作業が何度も行われると、ようやく、修道士の顔としっかり向き合えるようになる。

あなたは光の音を聞いたことがありますか?
あなたは雪の降る音を聞いたことがありますか?

私は自己探求の為にインド・プネーにあるOshoコミューン(現Oshoリゾート)で、朝から晩まで様々な瞑想をし、歌い、踊り、世界のトップレベルのセラピスト達のセッションやWSに参加しながら約1年間滞在をしたことがある。

その滞在中に私は何度も光の音を聞いた。太陽の昇る音を耳で聞いた。
言葉さえ必要となくなり、私は【IN SIRENCE】のバッチを付けて、言葉を発することを自分自身に要求しない時間を取った。ありがたいことにコミューン内では言葉を使いたくない時に【IN SILENCE】バッチを身をつけると、誰も声を掛けないでいてくれる素晴らしいルールがある。

木漏れ日の光が身体に注ぐ時、その光がかすかな音を立てている。その美しさに涙し、祝福を感じる。何もせずただそこに在るだけなのに涙があふれる。太陽が昇る時、燃えるようなオレンジ色の光と共に力強く生まれるようなエネルギーを感じその音を腹で聞いたことがある。そして歓喜に涙した。それほど瞑想は私に祝福を与えてくれた。

私たちの生活は、修道士とは違って日々たくさんの情報に溢れている。自分の感情のみならず他人の感情にさえ踊らされ、自分を見つけられずにいる。

誰もがインドに渡って瞑想三昧の日々を過ごせるわけではない。過去に瞑想三昧の日々を過ごしたからと言っても慌ただしく日々を過ごしていればあっという間に静寂は逃げていく。
だからこそ、この作品を観ながらほんの少しの時間、【大いなる沈黙】の旅を体験してほしいと思う。映し出される映像から意味などを見出そうとせず、ただ静寂の中でくつろいで欲しい。
そして私たちはPCもiPhoneもTVもなくても人生を豊かに過ごすことが出来ることを知らされるのです。

2006年、当時勤めていた映画会社で宣伝Pだった現Mimosa Films Inc.の代表が、トロント映画祭で運命的な出逢いをした。私に手渡された1本のVHS、それが『大いなる沈黙へ』 だった。あの時の彼女の大切な出逢いがようやく形となって、大きなスクリーンで観ることが出来る。

『大いなる沈黙へ』
7月12日(土)より岩波ホール他全国順次ロードショー
オフィシャルサイト
http://www.ooinaru-chinmoku.jp/