別の自分が崩壊すれば輝かしい意識が目覚める
仏教語に「愛別離苦」という言葉があります。
これは、仏教の八苦のひとつです。八苦とは、よく知られている四苦の、生・老・病・死に愛別離苦(離別の辛苦)・怨憎会苦(怨みや憎しみと出会う苦しみ)・求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)・五陰盛苦(存在を構成する物質的、精神的五つの要素に執着する苦しみ)を加えたことを言います。
この世での愛する人との別れは、私たちにとって最も辛い体験です。
体験したことのない人と、体験したことのある人では、霊的レベルが異なります。
表面的には、私たちは自分を愛していない人よりも、自分を愛している人の方により好意を寄せやすいようです。というのは、私たちはかなりの自己愛の持ち主だからです。
その自己愛と真実の愛を区別するのは大変難しいものです。
人によっては「所有愛」を一途な人だと勘違いしてしまうこともあります。制限されたり、コントロールされたりする場合、「君をこんなにも愛しているから、アドバイスしていることが分からないのか……」という言葉は真実の愛ではありません。
相手の都合で自分を押し殺して付き合っていると、自分という顔を忘れてしまいます。そんなタイプはあなたが相手を無視した行動に出ると、簡単に憎しみに変わり、平気であなたを見捨ててしまいます。
「自己愛」とは、何らかの形で自分を満足させてくれる条件付きで、相手を愛している振りをしているのにすぎません。もちろん、その自己愛はすべての人が持っています。しかし、それがあまりにも強いと、魂の目覚めは妨げられてしまいます。
そうすることで、結婚相手に繋がる人に巡り会うことができず、また、相手の都合重視を尊重した結婚は長続きしません。この世に生まれ変わったすべての人は、幾度も生まれ変わる度に、その「自己愛」を破壊するために、さまざまな計画を立てて来ています。
そのため霊的レベルが高い人ほど、辛い体験を多くして、自己愛を破壊させることで悟ることができます。
楽しい運命、気楽な運命はある一定の魂向上には適していますが、自己愛を破壊させることはできません。逆に高慢になったり、自分の意識が強くなりすぎて、自分を見つめる時間よりも、他人の評価ばかりに気を取られてしまい、魂が向上する機会を逃がしていることにも気づけません。
「愛する人のとの別れ」は最もつらい運命
生まれ変わったときに、「辛いことを体験する」と自分自身で決めて来ています。
この地球に生まれ変わった目的を忘れてはいけません。地上生活は、魂を鍛えるために存在しているのであり、物質目的や権力などを多く所有する場所ではありません。
悲観的なようで、それが霊的な真実です。
そうした運命のなかで、もっとも苦しく、辛く、逃げ場がないもの。
でも、その試練を乗り越えたとき、もっとも進化することができるのが、「愛する人のとの別れ」という運命です。
たとえば、子供に自分を捧げてきた人にとっては、子供あっての人生です。しかし、例えばその子供が事故で死んでしまったときには、子供がいなくなってしまったことで自分自身をも失ってしまいます。もちろん、自分自身は生きていますが、子供という依存した「別の自分」はいなくなってしまいます。子供が亡くなったことで、自分も同じように死んでしまった感覚を体験するかもしれません。
霊的な経験のなかでも、愛する人との別れは魂が計画した運命のなかで、もっとも過酷なものです。そして、その運命は突然訪れます。
その辛い体験のなかでは、「別の自分」を路頭に迷わせてしまうこともあります。
例えば、愛する夫が自分の親友と深い関係になってしまい、離婚することになった場合なども、「別の自分」に徹底的な打撃を受けることになります。
その体験は魂にとってはギャンブル的な要素を含んでいます。
あまりにも過酷なために、精神的に危険を伴うこともあります。
しかし、一方で「別の自分」を破壊させるためには、必要な体験になります。悟りに近い感覚を得ることが出来ます。
古い魂ほど、今のニューエイジに生まれ変わることで数十倍の速さで輝かしい意識を目覚めさせることが出来るようにと、その期待を胸に愛するものと別れる計画を立てて来ています。
私たちは苦悩を経て、精神的に成長している自分に気づくことができます。
「別の自分」を破壊できたことで、真実の愛を受け取ることができるのです。
ありがとうございます。