一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.37 『そこのみにて光輝く』

かつてのATG映画を思わせる ままならぬ男と女の暗くて長い河

過去に囚われて前へ進めない男と淋しがり屋で誰か庇護者を求める少年。そして少年の姉。彼女もまた家族や愛人の男に絡みつかれて前へなど進めないと思っていた。そんな三人が出逢い、彼らの人生はきしみながらも劇的に動き出す。 なんか70年代から80年代のATG映画か、日活映画みたいだなあと懐かしい思いで画面を見つめた。藤田敏八監督作品みたいだ。 父親は寝たきり、弟は前科者、長年妻子持ちの会社社長の愛人をしつつ、家族を養うために売春もする。不幸のてんこもりみたいな女だけど、主人公の男は彼女との結婚を望む。つかの間幸せの瞬間を甘受する三人。が、愛人の男が女への執着を捨てきれず……。 うまくいきそうになったら、いやーな障害が入ってきて、不幸へとまっしぐら。観ながら「あ~あ」と言いそうになった。 「こういうひと昔前みたいな設定で、こんな女性って今もいるんだろうか?」なんて気持ちがかすめたが、当然今もいるだろうけど、ニュアンスが違うような気がした。 今はもっと軽くて明るいような気がする。それゆえ、この映画の持つ重さ、憂鬱さが今とてもしっくり来る、という人は少なくないかもしれない。

不幸な展開も必然なのだから 彼らの未来には希望が示されている

不幸へとまっしぐらに見えたクライマックスもラストも、「あ~あ」と溜息ついた後は、でも……と気持ちを新たに次の一歩を踏み出せるじゃない、と思えた。 人生にはなんでもありである。どんなひどいことも起こり得る。でも、それは、必然として起こったことで、かならず抜け道はあるし、起こったことの意味を考えよう。そこから学ぶことはいっぱいあるし、しばらくしたら、悪い状態は過ぎ去るだろうし。それまでは、不幸?不都合みたいな状態を楽しめばいい。 この映画のラストシーンも、美しい朝の光に満ち溢れて輝いている。 希望が示されている。

役者四人の演技を堪能 一番の収穫は池脇千鶴と高橋和也

綾野剛……生きることに投げやりな主人公の鬱屈ぶりは良いのだが、焼肉をむさぼる演技は高校生が焼肉にがっつくのと同じで困ったなあ(笑)。素がでている。そのシーンに主人公の鬱屈は置いてけぼりだよ。 直情径行でちょっと頭の悪い少年役、菅田将暉。彼は頑張っている。姿勢が悪すぎてがなる声が出てないシーンが切なかった。この少年には終始イライラさせられた。そこがすごいと思う。 でも、この映画の一番の収穫は、ヒロインの池脇千鶴とその愛人役の高橋和也だろう。ふたりの絡むシーンはどれも際どい腐った空気と緊張に満ちていた。池脇千鶴の熟れた身体は食べごろ感全開であった。 四人の演技合戦が堪能できる。そして、ままならない人生を堪能できる。でも、最後希望を感じることができる佳作である。 蛇足だが、これは綾野演じる男と菅田演じる少年のラブ・ストーリーでもあるのだな、と思ったのは、私だけ?じゃないだろう。   『そこのみにて光輝く』 http://hikarikagayaku.jp 4月19日(土)より、テアトル梅田、なんばパークスシネマ、 京都シネマ、シネ・リーブル神戸ほかにて公開! ©2014 佐藤泰志/「そこのみにて光輝く」製作委員会