「鬼は外! 福は内!」~節分に豆まきをするのは何故?~

鬼を払う「節分」

節分と言えば、「鬼は外!福は内!」豆まきですよね。よくよく思い返してみると一年を通して何かを「まく」という季節イベントはあまり無いので、ちょっと面白いですよね。

私も毎年豆まきをしています。なんとなくスカッとしますし、リフレッシュできますよね。節分とは読んで字のごとく「季節の変わり目」です。季節の変わり目は気分も変わりますが、心身の不調も起こりやすい時でもあります。そう考えると、心身の健康のために邪悪な存在を追い払うという意味合いで鬼を追い払うイベントとして節分が存在しても、なんとなくわかる気がしますね。

そういえば、なぜ節分には豆をまくのか考えた事はありますか?
鬼を追い払うため、というのはわかるのですがどうして豆なのでしょうか。鬼を倒す武器と言えば、イメージ的には刀剣だと思いますよね。昔話のヒーローと言えば桃太郎が真っ先に思い浮かぶと思うのですが、おじいさんが授けてくれた刀で鬼を倒して行きましたよね。一寸法師は小人ヒーローでしたが、やはり武器は針ではあるけれど刀として使用していました。桃太郎や一寸法師が豆を武器として鬼退治をしたという話は聞いた事がありません。とはいえ、一応この由来となる物語はちゃんと存在するのです。

昔々(※宇多天皇の時代)、京都の鞍馬というところに鬼が出ました。そこで毘沙門天という神様が人間に鬼退治する方法を教えました。「鬼が出たら大豆を目にぶつけると良いよ!」それを教わった人間は早速、目に大豆をぶつけました。すると、毘沙門天の言った通り鬼を退治する事ができたのです。めでたし、めでたし。物語はそんな感じです。

魔(鬼)の目を攻撃したからマメ。魔を滅するからマメ。そういうダジャレが由来みたいです。なんだ、そんな由来なのか・・・と思わなくもないですが、そのユーモアのセンス、なかなかステキですよね。後、穀物には生命力と魔除けのパワーがあるという信仰もあるので、その辺の流れも関係あるみたいです。

節分は豆まきもしますが、年の数だけ食べますよね。
年々、食べる豆の数が増えるのがちょっぴり複雑な気持ちではありますが、それはそれで気分を堪能できますよね。もちろん豆は健康にも良いですし。豆まきの豆は炒った豆限定だそうです。生ではダメだそうです。まいた豆から芽が出ると縁起が良くないという説があるみたいです。またダジャレみたいな話になりますが、炒った豆というのは、「炒る」を「射る」として、要するに「鬼を射る」、退治するという話です。何気にユーモアに徹底していて微笑ましいですよね、節分って。確かに節分を「季節の変わり目だし、春は年度初めの区切りという事もあるので行事にしよう。季節の変わり目は心身の不調もあるし、栄養を取って気持ちもリセットして元気に次の季節(新年度?)を迎えよう!」なんて言ったらユーモアもロマンもありませんものね。あなたの心のなかに住む鬼が去ってくれて福が沢山入って来ますように。

※宇多天皇の時代……西暦867年~931年の間