カフKahu~ポノPonoになり、生命と、そして創造主と、深くつながりながら生きる~

ポノ~自分の内にある天国に生きる~

「カフ(kafu)」の意味を訊かれることがたびたびあり、聖職者(司祭、僧侶など)ですと答えることが多いのですが、この説明は正確ではありません。
聖職者は宗教を体現していますし、実は、ハワイ(Hawai’I)の人々には宗教はないからです。ハワイのスピリチュアリティは生き方であり、アロハ(aloha)であることです。アロハは創造主、「I’O」のスピリットで、人の行いはアロハである状態から自然に発生しますが、宗教には規則や信条や儀式があり、信者はそれに従います。
有神論の宗教では、信者は神に好かれて天国へ行くために規則に従います。有神論以外の宗教では、よい行いが過去のネガティヴな行いを帳消しにしたりとり除いたりして、魂や心を清め、悟りへと導きます。ネイティヴ・アメリカンと同じように、ハワイ(Hawai’I)の人々にとって天国は自分が将来行く場所ではなく、地上での日々のヴァイブレーションです。
魂も心も、「ポノ(pono)」だとも、ポノではないとも定義できません。

イエス・キリストは、「天の王国は内にある」「天の王国はすぐそばにある」と言いました。
つまり、天国は自分の内側と、自分の周囲に存在しているのです。
かつてハワイ(Hawai’I)の人々は、自分のすぐそばと自分の内にある天国に生きていました。これがポノであることの意味です。
ポノとは私たちが神と、そして神のすべての創造物とごく自然に一体化していることに気づいている状態です。自然ですから、気づこうと強く意図することはなく、努力する必要のない自然な表現でした。人がポノの状態でなくなったときだけ、「ホ・オポノポノ(ho’ oponopono)」をするため、すなわち物事を物理的、心理的、感情的、社会的に正すために、カフが必要とされました。

カフは「カフナ(kafuna)」という単語の一部です。カフナは「秘密を保持する者」を意味します。
直訳すれば「Ka」は英語の「The」で、「Huna」は「秘密」です。その秘密とは、隠された、スピリットの世界の、聖なる絆に気づくことです。自分の呼吸に気づくことに似ています。私たちは普段は自分の呼吸を意識していませんが、呼吸が止まれば生命は終わります。生命の息吹を意識的に深く受けとるだけで癒やしが起きることがあります。ポノの状態でないときは、カフナの知識は秘密めいて見えますが、ポノの状態にあるときは明白で簡単にわかります。

4つの技術の実践者

ハワイ(Hawai’I)の人々の言葉にはたくさんの意味があることが多く、カフナという単語も「カフ――秘密」と「ナ――複数形」を意味すると捉えることもできます。この場合、カフナは「たくさんの秘密を保持する者」という意味になります。これを現代風に解釈すれば、さまざまな技術の達人という意味になるでしょう。たとえば、私は4つの技術の実践者です。
物事を正す「ホ・オポノポノ」、スピリチュアル・ヒーリング「La’au Kahea」、ハーバル・メディスン「La’au Lapa’au」、祈祷「Pule」です。これらの技術のカフナと認められるためには、わたしはそれぞれの技術をマスターしなければなりません。

おもしろいことにホ・オポノポノは、常にカフナやカフが執り行っていたわけではありませんでした。古代のハワイ(Hawai’I)では、ホ・オポノポノは家長が行っていたのです。ハワイ(Hawai’I)の人々は、腹を立てたり争ったりしている状態のまま眠りに就くべきではないと信じていたので、争いが起きるとすべての活動を停止し、一家全員でホ・オポノポノをしました。
どんな争いだったのか、どんなふうに決着するのかについて、誤解やいい加減な憶測が起きないように、家族全員がホ・オポノポノに参加したのです。
もちろん、そのころの家長は、当時の大半の人と同じように、たいていポノの状態にありました。一人をえこひいきしたり、偏った見方をしたりする怖れはそれほどなかったのです。
今日では、真にポノの状態にある人はほとんどおらず、数人のカフナのみがホ・オポノポノを執り行います。近年、ホ・オポノポノに関心を持つ人が増え、それとともにホ・オポノポノをシステム化しようとする動きが出てきました。ホ・オポノポノをシステム化することはできません。なぜなら、問題が起きる状況がそれぞれ異なるからです。争いを「ロカヒ(lokahi)」、すなわち調和へと戻すのは「I’O」との絆です。このことを基本的に学者である人に説明しようとするときに混乱が起きて、学者は、ホ・オポノポノのプロセスには手順があるのだから、ホ・オポノポノはシステムだと主張しはじめます。
たしかにホ・オポノポノは手順を踏みますが、ホ・オポノポノの手順をシステム化して、反復可能なものにすることはできません。

カフは司祭、または諸宗教の僧侶や薬術師、ヨギ、聖仙、魔術師に似ています。カフは結婚して子どもをもうけることができますから、修道士ではありません。
結婚が許されているのは、家庭を持ち、家族を経験することによって、カフは家庭を持っている人々の役に立てるからです。カフの知識は実践的で、来世のみならず今生でも役に立ちます。
今生は来世の準備ですが、準備だからと言って、今生をないがしろにしたり否定したりする必要はありません。カフはすべてを知っているわけではなく、自分をとり巻く世界や自分の内なる世界、スピリットの世界から知識を手に入れる方法を知っています。
私たちがカフとして執り行うことの多くが神秘的に見えるかもしれませんが、いったん理解できれば、謎ではなくなります。謎ではなくなったからと言って、神の権威や神への畏怖の念が消えることはありません。
人生はより深く、より意味のあるものになります。誰もがカフになるべく運命づけられているわけではありません
。私たちは芸術家、ビジネスに携わる人々、農業従事者、エンジニアなど、様々な人を必要としていますが、誰もがポノになって、生命と、そして創造主と、深くつながりながら生きることができるのです。