『心理セラピスト』が教える!「あなたは1人じゃない」~トモダチ~

あなたにとって友だちとは?

滅多にテレビを観ない僕ですが、最近ハマっているドラマがあります。微妙に伏せますが『やられたらやり返す! 倍返しだ!』でお馴染の某銀行マンが主人公のドラマです。結構、視聴率、良いそうですね。勧善懲悪なシンプルな作風が、何処か懐かしい感じがします。

さて。しかし、僕が好きなのは実はそこではありません。このドラマの見せどころは実は『友情』ではないかと思うのです。自分がどれだけ大変でも、決して「悪い。俺、忙しいんだ。力になれなくて悪いな」で終わりではないところが泣けてくるのです。

ドラマの話を永遠にしていたら脱線してしまうので本題に入ります。誰もが一度は考えた事があるテーマだと思います。「あなたにとって、友だちってなんですか?」というテーマです。
小さな子どもだったら、単純に遊び相手ですよね。おしゃべりしたり、一緒に公園で遊んだり、ゲームをしたり。何度も繰り返していますが、これってどういうことかと言うと、人は一人では生きてはいけないから、このように小さなころから人間関係を経験して行くのです。
赤ちゃんの頃はさすがに考えもしませんが、少し大きくなると、そんな遊び仲間の関係だけをとって見ても、必ずしもプラスの面だけではない事を悟り、人間関係について意識するようになって来ます。その時期に差し掛かると「友だちってなんだろう?」という問いが芽生えて来ます。

たまに「友だちは使い分けるものなんだよー」とか自信満々に言っている人がいるのですが、僕はそこに不気味な違和感を持ってしまいます。もちろん、その言い分にも一理ありますが、もう少し深く考えて見ることにしましょう。

まず友だちの条件のなかでもっとも大事な物はなんでしょうか。
『友情』ですよね。仮に使い分けというカテゴライズを意識すると「相手が困っていても助けるに値しない人」も友だちに含まれてしまうんですよね。やむを得ない事情があって結果的に助けてあげられなかったというのは別です。他にも「暇つぶしの相手」はどうでしょうか。暇な時は声をかけてくるけれど、こちらから声をかけると「忙しい」しか言わない人いませんか。これって、よくよく考えると対等でも何でもないと思いませんか。「他の友人に会うのが優先なんだけど、折角来たから、空き時間に遊ぼうよ。ついでに」とか言われたらどんな気持ちでしょう。正直あまり友情を感じられませんよね。仮に優先順位はあっても、バレないようにするのも大事な気遣いだと思います。

何が言いたいかと言うと、友だちとは「都合の良い相手」という意味ではないと言うことです。仮に若干都合が悪くても自分の意思で友情を育みたいと思える相手が友だちなのです。「困ったときには助けてあげたい」と思えるのが友だちなのです。

しかし、気をつけて欲しいのが、そこに付け込んで来る悪党もいると言うことです。「友だちでしょ。私の頼みを聞いてよ!」と助けを求めて来る割に、こっちが困っているとバッサリと切り捨てて来る人。こういう人には本当に気をつけて下さい。もう少し言うと怪しげなカルト集団だったり、ネズミ講だったりする人たちの中にも友だちになりたいそぶりで近づいて、実は勧誘目的だったなどということも結構あります。泣きたくなりますよね。
友だちだから、必ずしも相手のニーズに応えてあげなければならない、ということは決してありませんが、助けてあげたい。喜んでもらいたい。そう思える人が友だちなのです。時には叱ってあげる事も、喧嘩する事も大事です。顔色をうかがうばかりでは友情は育ちません。

世の中には、本当にいろいろな人がいます。概念そのものがまったく異なる人もいます。それでも人間は一人では生きて行けないのです。そのためにも友だちは必要なのです。
「でも……私が困った時に助けてくれる人なんていないし、どちらかというと、暇な時だけ呼び出して来るとか、愚痴りたい時だけしか連絡してこないとか、そんなのばっかりだよ。どうせ、私なんか友だちなんていないんだ……」と思う人、そこだけはキッパリと言わせていただきます。

確かに現状はそうなのかもしれません。しかし、自分自身が相手を信じてあげたい。相手のために何かしてあげたい。助けてあげたい。喜びを分かち合いたいという想いと行動こそが友情への第一歩なのです。損得勘定だけで動いていては、友だちはできません。
そこで、友だちトレーニングだと思って、考えて欲しい事があります。次のエクササイズ、ぜひやってみて下さい。

【友だちエクササイズ】
1.友だちのためにやってあげたい事はなんですか?
実際にしてあげていますか?
2.友だちに助けて欲しい事は何ですか?
逆に助けてあげていますか?
3.あなたが友だちと思っている人に本音は言えますか?
本音を言い合える環境づくりを普段からしていますか?