神様の正しい参拝方法

神社では願うのではなく、感謝しよう

神さまから聞いた、外せないポイントはただ一点。
鳥居をくぐって、鳥居から出るまでの間、願ってはいけないという事です。

ただ、それだけ。

そして、賽銭の前で手を合わせている間、ずーっと感謝し続ける。
「今月、○○がありました、ありがとうございます」
「今月は、△△が、××になっちゃいました、感謝します」

今月、起こった、嬉しかったことを、ずーっと回想し、報告し続けるんです。
なぜ、これだけで、幸せになれるのでしょうか?
まず、「願い」とは何かを考えるべきです。
「願い」とは、不満の事です。

「いま、財布にお金が無い(不満)から、増やせバカヤロー(願い)」
「来月、大学に受からないかもしれないから、力貸せバカヤロー(願い)。
「だいたい、なんで俺が一人で受験を頑張らねばならないんじゃい(不満)」
「俺を病気にしやがってバカヤロー(不満)、さっさと治せ(願い)この!」

神社というのは、色んな物理的作用によって、あなたの視座が固まりやすい場所となっています。

「視座が固まりやすい」とは、神さまに声が届きやすいと言う事だと思って下さい。

過去記事でも言いましたが、なぜにわざわざ敵陣で暴れる?
「今日は、ケンカ売りに来ましたよ、神さま」って声は、あなたのリビングでなら、神さまに聞こえないかもしれない。
でも、神社では、確実に聞こえるのだ。
だって、アイツ(神さま)に一番、声が届く場所なんだからな。
なぜにわざわざ敵陣で暴れる?

身の回りに、不満を探せば、見つかります。
幸せを探せば、見つかります。
どちらを探すかは、選べます。
あなたが、感謝している間、
あなたは、ずーっと、幸せに包まれています。
ソレを、「幸せ側」から見ています。
あなたが、願っている(不満)間、あなたは、ずーっと、呪われています。ソレを、「不幸側」から見ています。

簡単な、話しなんです。
幸せで居たいなら、幸せで居て下さい。

感謝したいのか(感謝している間、幸せです)、願いたいのか(不満を言っている間、イライラします)それさえも、自由に選べるようにしてくれたアイツ(神さま)って、やっぱ、太っ腹だと思う。