ハワイ(Hawai’I)~万物のつながりへの愛を生きる~ PART.1

ハワイとは、この星そのものである

「ハワイ(Hawai’I)」という言葉は3つの言葉、「呼吸と魂を意味する-ha-」「甘い水又は新鮮な水を意味する-wai-」、そして「神又は無限かつ普遍的な愛を意味する-I-」から成ります。つまり、ハワイ(Hawai’I)は、太平洋の真ん中に浮かぶ、新鮮な水をたたえる島ということです。同時に「ハワイ(Hawai’I)」は新鮮な水があり、命を育むことのできるどのような島もさす言葉でもあります。ある意味では、私たちの地球そのものが宇宙という海に浮かぶ新鮮な水をたたえる島ということもできるのではないでしょうか。つまり、「ハワイ(Hawai’I)」は我々の住むこの星をさすこともできるのです。

セミナーを行うとき、参加者の皆さんに「ヘ・ハワイイ・アウ(He Hawai’I Au)」と言っていただくことがよくあります。「私はハワイ(Hawai’I)である」という意味の言葉です。「私はHawai’Iである」と言うことは、ハワイ(Hawai’I)に対して自分のことと同様の責任を負うということになります。ですから、「He Hawai’I Au」と口にしていただく時には、その方々がハワイ(Hawai’I)に対して自分に向けるのと同じだけの敬意と思いやりを持ってくださることを期待しているのです。

また、「Hawai’I Pono I」という「ハワイ(Hawai’I)は神と共に」又は「ハワイ(Hawai’I)は神聖なるものと調和する」という意味をもつ歌があります。「Hawai’Iは神と共に」と「私はハワイ(Hawai’I)である」の2つ言葉を合体させると、両方とも「ハワイ(Hawai’I)は神と共に」と「私は神と共に」になります。これを「私は神聖なるものとの調和を表現したものである」と解釈することもできるわけですが、私がここで「調和を表現したもの」としたのは、生きるということの力強さを伝えるためです。一方で、これを「あなたは神の創造物である」と言ってしまうと、変化がなく停滞した状態で継続的な関係性が無いような印象を与えてしまいます。表現するということは、継続的なつながり、動き、そして進化そのものです。神聖なるものからの教えを継続的に表現し続けることは私たちが生まれ持つ権利です。私たちは神聖なる表現そのものであり、我々が「pono」であるならば、それは遮られることなく続いて行くことができるはずです。「Pono」であることを学ぶことにより、人は自分を愛し大切にすることを学び、それが自信を育み、人間同士、そして大地を大切にすることへつながります。

「Pono」という言葉は「正義」又は「公正さ」と翻訳されます。しかし、より深い意味は、「調和する」「一つになる」あるいは「同じ特性を持つ」というものです。神と「pono」であることは、神と同じ特性を体現する、ということになります。例えば、キリスト教ではイエス・キリストが「神は愛である」そして「私と天の父は一体である」と言っていますが、この二つを合体するとイエス・キリストは「私は愛とponoである」と言っていることになります。つまり、クリスチャンの人がイエス・キリストと「pono」であろうとすることは、神と同じ愛にあふれる特性を体現する、ということです。危険なことに、「正義」や「公正さ」を模倣や遵守の対象となる一連の規則や行動と理解してしまうことがあります。しかし、気持ち、心、愛、あるいは敬意無くして行動だけを模倣することは偽りに他なりません。「Pono」とは背景や状況に応じて、自分の気持ち、心、愛、そして敬意を適切に表現することを意味します。ただ一連の規則に従っていたならば、新しい異質な状況に直面した時に、これまで従ってきた規則が通用せず、途方に暮れ、不適応を起こしてしまうかもしれません。

~PART.2へつづく~