笑ってダメなら、泣いてみよう~思い込みに縛られない~

開かないドアに出くわしたら?

小さな子供は、ドアの仕組みを知りません。
彼は、周りを見ながら、ドアというモノの仕組みを学び始めます。
ある日、大人が、ドアを押しているのを目撃した彼は、
「ドアは押したら開くものだ」と知識で覚えました。

次に、彼は、実際に自分でドアを押してみます。すると、ドアが開きました。
彼は、経験として、学びました。
「ドアは押したら開くものだ」
ますます彼は、その観念を強固なものと信頼し、生きていきます。

でもある日、彼は何度押しても開かないドアにぶつかります。
どれだけ力強く押しても、そのドアは開かない。
泣き始めた彼のもとに、母親が駆け付け、ドアをそっと引きました。
ドアは押せば開くと信じ込んでいた彼が、初めて目にした、ドアの別の性質。
「押してダメなら、引いてみよう。」
母親は彼に新たな観念を与えました。

思い込んでいる人は、その思い込みを唯一の方法だと信じています。
ドアは、押すモノだ。
人生は、笑うものだ。
でも、ドアに別の性質があったように、全てのモノゴトには別の性質、別の極があります。
両極があって初めて、相対性の世が成るわけです。
ドアの別の性質を知らない子供は、ドアを押し続けて泣きました。
人生の別の性質を知らない大人は、成功を求め続けて、泣くでしょう。
押してダメなら、引いてみよう。
成功でダメなら、転んでみよう。

ただ、片側の性質だけしか知らないから、片側の性質にこだわり続ける。
あんなに力強く押しても開かなかったドアが、スっと引くと開いたように、あんなに成功を求め続けても変わらなかった人生が、コロンと失敗するとひらけたりするのです。

押してダメなら、引いてみよう。