ブータンしあわせ便り第26稿~「は」~「ハピネス」

ブータンといえば「しあわせ」(ハピネス)のイメージを持たれる方が大多数を占めるかと思います。けれどブータン人の考えるしあわせと日本人が考えるしあわせは生活の違いから大きく異なる面があります。

ブータンの人たちにとっての幸せって何?

ブータン人が考えるしあわせについて私が思う象徴的な出来事が二つあります。一つ目はツルの飛来で有名なある地方の住民の話。その村にはかつては電気(今でも一部のみ)もありませんでした。その理由が「ツルの飛来の妨げになる電線を人間の生活が便利になるからといって普及させるべきではない」。というものです。住民の誰に聞いても、「私たちはせいぜい60数年生きているだけ。ツルは私たちが生まれる何十年、何百年も前からここに暮らしている。その生活を私たちが妨げることはできない。私たちの方がここに住まわせてもらっている。ツルのしあわせを妨げては私たちもみんなしあわせになれない」。

村人たちは当たり前のようにこう言います。そして電気のない暮らし(不便)を続け、電線が地中に埋められる工事が行われるのを5年、10年と待ちます。 よく「ブータン人はたとえば電気の便利さを知らないからそういった感覚を持つんじゃないの?」といわれることがありますが、みなさんの想像以上にブータン人の生活は文明的です。首都などの家には電化製品一式はそろっています。

ブータンに国民総幸福量(GNH)が生まれる理由

二つ目は、最近、邦訳が出版された本の中に、ブータンの道路わきに立てられてある手書きの看板の紹介がありました。誰が書いたのかもわからないけど、ブータンの中にはこういう思想を持つ人が半分以上はいるから、GNHが生まれたともいえると思います。

最後の木が切られ
最後の川が干上がって
最後の魚が捕まった時
人はお金が食べられないことを知る

ブータンのGNHは仏教と密接に結びついています。けれどなにも信仰だけがそれを産み出したのではありません。お金でしあわせが買えることはブータン人であろうとも否定はしません。「どうしたらそれを日本人にわかってもらえるだろう~」とブータンの政治家の方々と話すと口にされます。お金でしあわせが買えることは確かだし、お金は別に悪いものでもなんでもありません。

仕事をしてお金をもらい、欲しかったものを買うとき、旅行したり、誰かにプレゼントもらったとき、しあわせを感じます。 それは普通。でもそれで「しあわせになれる」とは違いますよね、言葉の微妙なニュアンスですが、そこがとても大切な気がします。

最後にブータンのティンレー首相の一言を。

「喜びとしあわせは違う」
「たとえばきれいな空気がなぜ必要かを考えてみよう。これは自然を守るだけではなく、空気を吸う私たちがきれいな空気を吸えることが幸せという意味もある。こうして誰かをしあわせにする方法、自分を幸せにする方法はいくつもある」。

 

そう、たとえば何かをもらって感じる喜びは瞬間的に消えてしまうものだけれど、しあわせを感じることは瞬間的ではなく、心にずっと残るもの。そんなしあわせがブータン人の考えるしあわせ=ハピネスです。

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