ヒプノセラピスト空花の「心、ユラり、きらり」PART.1~持ちつ持たれつな生き方

先日、映画館で『ツナグ』という日本映画を見てきました。

この映画は、祖母と二人暮しをしている青年アユムが、祖母のアイ子より、生きている者と死者とを引き合わせる【つなぐ】という役割を引き継ぎ、受け継いでいく過程を描いた作品です。

物語の詳細につきましては、ネタばれとなってしまうといけないので、ここでは控えさせていただきますね。

私がこの映画でとても印象的だったのは、劇中で樹木希林さん演ずる祖母アイコが、普段の生活の何気ないひとコマの中で、何気なく口にしていたこの詩の一節です。

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「最上のわざ」 
作者:ヘルマン・ホイヴェルス神父

 

この世の最上のわざは何か
楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順におのれの十字架をになう

若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見ても、ねたまず
人のために働くよりも
謙遜に人の世話になり
弱って、もはや人の為に役にたたずとも
親切で柔和であること

老いの重荷は神の賜物
古びた心で最後の磨きをかける
真のふるさとへ行くために

おのれをこの世につなぐくさりを
すこしずつはずしていくのは
まことにえらい仕事

こうして何も出来なくなれば
それを謙遜に承諾するのだ
神は最後に一番良い仕事を
残してくださる
それは祈りだ
手は何も出来ないけれど
最後まで合掌できる
愛の恵みを求めるために
すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声を聞くだろう

「来よ、わが友よ。われなんじを見捨てじ」と。

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映画の中で祖母アイ子は、ゆったりと丁寧に、それでいて家事の手を休めることなく実に楽しげな表情でこの詩を口にしていました。

この詩は人生の終盤をどんな心持ちで過ごしたらいいのか、というメッセージで書かれた詩でしょう。でも全ての年齢に通じるメッセージも含まれているように、私は感じました。「人の存在価値というのは『人の役にたつ』ことにのみあるのだろうか?」

もちろん、誰かのため、社会のため、役に立てることがあるのならばそれは仕事であれボランティアであれ、今の自分に出来る事を精一杯やるのは基本でしょう。

でもそれならば、突然の事故や病気、または老いることによって体や頭の自由がきかなくなって人の世話にならなければならなくなったら、その人はこの世に存在する意味も価値もないのでしょうか。

「そんなことは決してないんだよ。この宇宙に存在する全てのものは、ただそこにあるだけで十分に価値があるんだよ」。
そんな優しい慈悲に満ちた懐の深い愛情を、この詩は届けてくれている気がします。

この宇宙の中の存在はみんな持ちつ持たれつ……。
支えあいの「愛」の中にあるものだと思います。
そのことをいつも前提としていれば、自分の目の前の誰かが自分の思い通りに動かなくてもあるいは自分自身が自分の望むとおりの自分ではなかったとしてもどれもこれも、みんな愛しい存在に思えてきませんか?

昨今の社会は『自立』ということが幼い頃から尊ばれ隣近所や仕事場、学校、家族どうしですら関係性が薄くなってきています。

その希薄さの元には『他人様の世話になるのは良くない事』という価値観があるように思います。

でも、時には世話になったっていいじゃないですか。
みんな、持ちつ持たれつなんです。世話をしたり、されたり……。

その中で絆も愛も思いやりも、紡がれていくように思います。
もし今あなたが、ちょっと心に隙間風がふくような気分になっているとしたら、素直に誰かに甘えたり、頼ったりしてみることで、愛ある『持ちつ持たれつ』を実感できるかもしれません。

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