よくメディカルアロマテラピーと聞きますが日本語に訳すと、「医療芳香療法」……?
「医療」と「療法」、同じ意味の言葉が繰り返されていますね(^_^;)
本来のアロマテラピーは芳香療法と訳すように医療的意味合いが強いのですが、実際は「癒し」のイメージの方がクローズアップされています。その為、癒しのアロマテラピーと差別化するためにも「メディカル」という文言がついたのではないでしょうか。
この事を理解するためにはアロマテラピーの生い立ちを知るとわかりやすいです。
1910年。
ルネ・モーリス・ガットフォセという青年がフランスにおりました。
彼は化粧品会社の研究員。彼が29歳の時、化粧品の研究工場で大爆発が起こり、その事故に巻き込まれてしまいます。
彼は腕に火傷を負い、ガス壊疽という感染症を引き起こしてしまいました。(>_<)
ガス壊疽とは傷口から細菌が侵入する事により、筋肉が壊死を起こす致死性の疾患です。
昔は戦争など外傷から感染し、多くの負傷兵の命を奪った疾患です。
治療法はペニシリンなどの抗生剤の投与です。
しかし、ペニシリンの登場は1929年。大量生産ができるようになったのは1950年代です。1910年代は治療法が消毒ぐらいしかない命を奪う疾患でした。
そのルネの命を救ったのがラベンダー精油でした。
化粧品の香料として使われていたラベンダー精油は身近にある火傷を冷やす液体でした。
ルネがラベンダーの抗菌作用に期待したて塗ったかどうかは定かではありませんが、ルネがラベンダーによって一命を取り留めたのは間違いありません。
それからルネはラベンダー精油だけではなく、精油というものを研究し、彼が46歳の時(1927年)にそれまでの研究を発表した論文の中に「アロマテラピー」という造語をはじめて使ったのです。
感染症に対して効果的な治療法がなかった当時の医学界はきっとアロマテラピーに注目したでしょう!
しかし、1929年にイギリスの細菌学者、アレクサンダー・フレミングがペニシリンを発見したからアロマテラピーはマイナーな存在になったのではないでしょうか?
1960年代。
オーストリアの生化学者マルグリット・モーリー女史。
彼女は中国、チベットなどを渡り歩いて哲学や宗教を研究しておりました。
そしてフランスでルネに出会い、アロマテラピーの虜になったのでしょう。
しかし、彼女はアロマテラピーの中のとりわけ美容の効果に注目。
精油を植物油に希釈してエステやマッサージをする方法をイギリスで編み出したのです。
この方法なら医学界ではなく一般庶民が精油を安全・安心して使用できます。
現にアロマセラピーはイギリスでは大ヒットし、マルグリット・モーリーは世界的なエステティックの団体の賞である「シデスコ賞」を受賞しました。
フランス語でアロマテラピーは英語ではアロマセラピーと呼びます。
もともと医療的要素の高かったアロマテラピーからエステ・リラクゼーション要素が高いイギリス式のアロマテラピーが生まれたのでした。
時同じくしてフランスでは、ジャン・バルネという医師がルネの意志を引き継ぎ、アロマテラピーの普及に手をこまねいていました。
アロマテラピーの効果は抗菌作用だけではなく、鎮痛作用や抗炎症作用、血圧降下作用など体が回復する上で副次的な作用がいっぱいあります。
それを世間に、世界に広める為には臨床データーが必要です。
しかし、おいそれと人体実験ができるわけではありません。(>_<)
そんな時、第二次世界大戦がはじまります。
まだ抗生剤ペニシリンの大量生産が出来ていない時代、多くの負傷兵がガス壊疽で苦しみ命を落としておりました。
ジャン・バルネは衛生兵として戦地に赴き薬草を現地調達し、精油を使って多くの負傷兵を治療したのです。
フランス政府がアロマテラピーを医療と認めざる得ない程の臨床データーが集まり、そして今でも多くの精油はフランスでは健康保険が使える程です。
こうしてメディカルな要素の強いフランス式のアロマテラピーとリラクゼーション要素の強いイギリス式のアロマテラピーが生まれたのです。
※余談ですが、アロマとアロマテラピーは似て非なるものです。
アロマは「芳香」という意味。
香りであれば何でもアロマという事になりますが、一般的なアロマテラピーの定義は精油を使う事が前提になっています。
香りならなんでも良いという事ではないわけです。(>_<)
では、次回は精油についてお話いたします。
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