スピリチュアリズム PART.6 ~チャンスは無限~

スピリチュアリズムでは魂の存続を認めるので、たった一度の人生だけではその魂の歴史は語れません。何回失敗しようが、その度に成長の為の機会が全ての人に与えられる、と考えるのもスピリチュアリズムの特徴です。
なので、決して一度の過ちによって全てが無になることはあり得ません。
人は失敗や痛みや悲しみから学びの機会を得られる事がほとんどです。
普通私たちは、何一つ苦労のない、満ち足りた状態で新しい何かを探すことをしません。
人は何かを持っている時、必要か否かにかかわらず、それを守ろうとします。
なので、新しい気づきや学びが必要な時は、何かを失くしたり手放す事が起こりがちです。
失敗をしようが、何かや誰かを失ったとしても、決してそれが終わりではないのです。
私たちには永遠に成長の機会が与えられているのです。

Aさんは3度同じ罪を犯して、3度逮捕されました。3度目の服役中、Aさんの犯した罪と同じ犯罪の被害者となり自ら命を絶ってしまった人の母親が、Aさんのもとへボランティアのカウンセラーとしてやってきました。

お母さんはAさんに言いました。
「私はあなたを許します」
Aさんはその時に初めて、自分の犯した罪の重大さに気付き打ちのめされたそうです。
そして、その日からAさんの人生が変わりました。
少しでも人のために自分の人生を生かそうと決め、実際に行動にうつしたのです。
現在Aさんは人生全てを奉仕に捧げています。
もしAさんが一度目の逮捕時に死刑になっていたとしたら、Aさんに気づきのチャンスは巡ってきませんでした。
きっと逮捕された不運を恨み、自分の運命を恨み、周囲を恨んだままだったでしょう。しかしAさんは3度目に気づきの機会を生かせたのです。

もちろん、私たちは選択の自由を持っていますから、そっぽを向いて進歩のチャンスを無視し続けることも可能です。しかし、永遠に進歩の機会が巡ってくるならば、いつか必ず自分と向き合う時を迎えることになります。そして、失敗に対して永遠に進歩のチャンスが与えられているという事は、同じように許しの機会も無限に与えられているという事です。

しかも魂は永遠に続いているのですから、人生は1度きりではありません。

過去世、カルマ、指導霊・守護霊の関与、これらが複雑に絡み合い、今回の人生において同じ課題に取り組む為のちょうどぴったりな魂達が波長の法則によって出会い、それぞれが個人の責任で進歩の機会に挑んでいるのです。

受験や仕事や恋愛に失敗したからといって、人生が終わったような気持ちになってしまうのは、人間の狭い了見からくる大きな誤解です。

お先真っ暗に思えたときは、スピリチュアリズムを思い出してください!
全ての人間には平等に、成長と進歩のチャンスが「無限に」与えられている事を。

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