スピリチュアリズム PART.1~死後も永遠に存続する魂~

「スピリチュアル」という英語は、辞書で調べると「霊的」「精神的」という意味です。
「スピリチュアリズム」とは「哲学=学び」であり、決して宗教ではありません。
宗教とは人間がつくった教義、哲学とは学問です。

スピリチュアリストとは、スピリチュアルという学びに則って生きる人を指します。
学びにはいくつかルール(法則)があります。
数学において、1+1=2であるように、スピリチュアルな生き方にもルールがいくつかあるのです。

ルール① 「死後も魂は存続します」
そう、肉体の死が私達の滅亡では無いという法則です。
たとえ病気で、事故で、事件で肉体が死のうとも、私達の「主」である魂は決して終わらないのです。
このルールを元に考えてみると、
自殺をしたところで苦しみは終わらず、罰するために誰かを殺したとしても魂は消滅しないのです。
また、大切な誰かを死によって失ったと思っていても、実は消えたのは肉体だけであり、その人自身は存在し続けているのです。

私はミディアム(霊媒)をしています。
私のところを訪ねてくる人の中には、大切な誰かを失った悲しみで苦しんでいる人も多々います。
しかし、失ったはずの誰かから相談者本人にしか知りえないようなメッセージを受け取ること、
または圧倒的な愛のエネルギーが送られてきて実際に体験することによって、亡くなった人自身が消えてしまったわけではないことが理解できると、多くの人は本当に喜びに包まれて、魂が輝きを取り戻し、再び生命が光りだします。
魂は永遠に存続する、これは紛れも無い事実です。

以前、ピーチという犬を飼っていました。
近所のおうちで子犬が産まれたと聞き、8匹ほどの中から私がピーチを選びつれて帰りました。

ピーチはラブラドールとテリアのミックスという中型犬でありながら近所のボス猫に顔面パンチされた苦い経験があり、
猫が怖くて散歩中に猫がいると足がすくんで歩けなくなってしまいます。
そんな時は10キロ以上あるピーチを私が抱っこして猫の前を通過していました。

私はピーチといた家を離れ、ピーチは親戚と暮らすことになりました。
たまに私が顔を出すと、大興奮で迎えてくれて、一緒に祖母のお墓参りに行くときなどは運転する私のひざの上に向き合って座り、首に両方の前足を絡めて、まるで抱き合うようにして出かけたものです。

私が家族から離れてしばらくすると、風のうわさで親戚の男性が短気を起こしピーチに八つ当たりをしていると聞き、大変心を痛めていました。
そして出会いから10年が経ち、ピーチは帰らぬ犬となりました。

私は心の中で何度も「ピーチ、一緒にいられなくて、守れなくてごめんね」と謝りつづけていました。
それから数年たったある日、ある霊媒の方の実験台としてリーディングを受ける機会がありました。
「あれ?遠くから猫がこっちを見ています。あなたの足元に犬がいて、その猫に向かって吼えていますよ」
「犬があなたに、命を救ってくれてありがとうといっていますよ」
遠くの猫に向かって吼えている足元の犬、ピーチしかいません!
遠くの猫を威嚇する犬なんて滅多にいないでしょう!私にはすぐにピーチだとわかりました。

でも……命を救った?

もしかして、実はいとこが他の子犬を欲しがったのを制して、私がピーチを選んだことがピーチにとっては救われた経験だったのかもしれません。
そう、ピーチの肉体は死んでしまったけれどピーチの魂は消えてはいなかったのです!
動物も、人間も、すべての魂は決して消え去りはしないのです。