現実をつくるもの~「幸せ」を口癖に~

あなたは、目の前の空間を、「こう見たい」と自由勝手に思い込みます。
「こう見たい」と思った事を、「こう見たい」と思った通りに、「こう見れる」だけなんです。

「目」と「鼻」と「口」を勝手に関連付けて、「顔」と呼びたいとあなたは思いました。
そうあなたが思った通り、目の前の、何も無かった空間を、「顔」と見ることが出来ます。
何も無かった空間から、「顔」を切り出せたのです。

なにか、確固とした、硬い「物質」が目の前にあるように思うかもしれませんが、それは、あなたが、「」で区切ったから切り出されただけであり、本来、そこに、境界線なんて無いのだから、「顔」なんて無いし、「目」なんて無いし、「瞳孔」なんて無いし、どこまで細かくして行っても、「」区切りをつけない限り、目の前には何にも無い事になり、全てが、たった一つの風景であるとわかります。

あなたは、その何も無いホワイトボードを、自由気ままに、「」区切りをつけて、現実を創りあげています。
見たい事を、見たいまま、に、見たいように、見れるんです。

それが、「解釈」です。
それが、「観測」です。
それが、「見る」です。
だから、見る側が、「こう見たい」と思ったこと以外を、見る側が、「見る」ことなんて原理的にありえません。

あなたの解釈を超えて、あなたに解釈されることなんてないんです。

全ては、あなたが、見たいと思ったから、
見たいと思った通りに、見えているだけです。
あなたの現実とは、あなたが、そう解釈しただけなんです。
あなたの外側に確固とした現実があるのではなく、何も無い空間を、あなたが勝手に解釈したのが、現実です。
あなたの内側に、解釈結果として反映させたのが、現実です。
あなたが、「そう思っている」だけなんです。
あなたが、「そう見ている」だけなんです。
あなたが、「そう呼んでいる」だけなんです。

外には、何もありません。
あなたが、自分の好き勝手に、「そう見て」、「そう聞いて」、「そう感じて」いるだけなんです。

なんて、素敵な世の中なんでしょう。
自分が思いたいように、思えるだなんて。
自分が見たい事を、見れるだなんて。
自分が全ての現実を創り上げているだなんて。
全ては、自分の、自由気ままな「解釈」の結果だなんて。

「でも、目の前には、確固とした現実として、嫌いな人がいるぞ!」
そんな、ばかな!
ソレを、「嫌いな人だ」と思い込んでいる、あなたの解釈があるだけで、目の前に、何かがあるわけじゃありません。
あなたが、「嫌いな人だと見よう」と思ったから、「嫌いな人」だと見えただけで、確固とした「嫌いな人」なんて、居るわけ無いでしょうが!

あなたが、ソレを、そう解釈したんです。
あなたが、ソレを、そう見たんです。
あなたが、ソレを、そう呼んだんです。
だから、現実を変えたいなら、あなたの、「解釈」を変えれば良いんです。

ソレを、良いヤツだ、と呼んでみてください。
ソレを、素晴らしいヤツだ、と見てみてください。
ソレを、憎めないヤツだ、と解釈してみてください。
全ては、あなたの、「解釈」なのだから、
あなたの解釈が変われば、あなたの現実が変わります。

嫌いな人にも、ありがとうと伝えましょう。
やりたくない事に、感謝しましょう。
嫌いな人の中に、良い奴だと見える部分を探しましょう。
楽しくない日常生活に、楽しいと思える事を探しましょう。

解釈を変えれば、あなたの現実は絶対に変わります。
だって、それが、原理なのだから。
「幸せだな~」を口癖にしてください。
「ありがたいなあ~」と言い続けてください。

何もかもが、あなたの、解釈の結果なのです。
そう見ようと思ったから、そう見えた。
そう聞こうと思ったから、そう聞こえた。
そう思おうと思ったから、そう思えた。
それが、原理です。

あなたは、あなたの現実の100%を創りあげています。