今こそ改めて考える! スピリチュアル的SNSの解釈!スピリチュアル的SNSの解釈!PART.1

インターネット。僕が初めて触れたのが大学生の頃でした。つまりまだ20世紀だった頃です。そう考えるとインターネットの歴史もまだまだ浅いとも言えそうな気がします。

しかし、時代と共に急速にネットが必須の社会に変化してきました。仕事でもプライベートでも1日に1度はオンラインする人が殆どではないでしょうか。

インターネットの特徴は従来のメディアと異なり、双方向で情報のやりとりができることが特徴です。特に、自分から情報を発信できるというのはかなり画期的ですよね。

当たり前になってしまった今だからこそ、改めてインターネットってなんだろうという原点に立ち返ってみたいと思います。

ネット社会になったのは良いのですが、これがまた非常に難しいわけで、21世紀になった今でも、まだまだシステム的な問題だけではなく、モラルやマナー、価値観もまだまだ改良、改善、進化の余地があると思います。

ところで、あなたはSNSを使っていますか?
SNSというのはソーシャル・ネットワーキング・サービスの略で、実例を挙げると<mixi>や<facebook>等の情報媒体の事です。

SNSの面白いところは、誤解を恐れず極端な表現をすれば、何と言っても時間も空間も無視して(?)つながろうと思えば、いつでも誰とでもつながれると言うところです。

この奇妙な世界こそ、もしかしたらスピリチュアルな世界なのかもしれないと思えて来ます。精神的な肉体を通さない場。言語こそ使いますが、今までになかった表現と交流の場。TPOこそあれ剥き出しな想いを伝える場。そんなふうに、SNSを活用している人もとても多い気がします。僕自身、SNS(特にfacebook)は大好きで、とても実生活にも直結して役立っています。

肉体というフィルターを通さないため、物理的攻撃されるリスクが無いだろうと3次元(今、生きている世界)でのストレスを吐きださんとするかのように攻撃的な言葉を多用する人、ネガティブな感情をどんどん出す人もいる気がします。

電脳空間は基本的に自由です。自由といえば聞こえが良いですが、裏を返せば無法地帯でもあるのです。だから、厳しいルールを作れば良いのかという問題ではなく、大切なのは、見えない相手も思い遣る心を持つことなのです。逆に言えば、使い方次第で見えない相手、何処に住んでいるのかさえわからない兄手にも幸せを与える事もできるのです。

この見えない自由な世界ですが、言葉を使うからには言霊を意識した方が良いと思います。言葉には、目には見えない大きな力があるのです。これは昔から言われていることですが、言葉を慣れない空間に飛ばし合う世界。それがネットの世界とも言えると思います。

そう考えると、相手を思い遣らない言葉を使い続けたらどうなるか。暗い発言ばかりしていたらどうなるか。ビジネスツールとして使うのは大歓迎ですが、SNSの<お友達>を見込み客リストのように使い続けたらどうなるか。簡単に想像がつくと思います。

ネットを使わなかった時代、もしかしたら僕たちは建前と本音をバランス悪く使い分けて、建前の比重が高く自分らしさを押し殺して生きて来たかもしれません。

しかし、いくら反動があるとはいえ、それをSNSの世界に持ちこんではならないのです。

僕は、最近になって思うことがあります。もしかしたらインターネットの台頭、進化は僕たちに真のコミュニケーションを学ぶためのステージとしての役割を持って存在しているのではないかと。