今こそ改めて考える! スピリチュアル的SNSの解釈!PART.2

「<ネチケット>が必要な時点で、SNSは<魂の世界>ではない事が証明された!」と以前誰かが言っていたのを思い出しました。
非常に興味深い発言だと思いました。

もしかしたら、この言葉にSNSを円滑に使えない人たちの共通点が隠されているのではないかと思いました。
その前に、少しだけ以下の点だけ意識して読み進めて下さい。

僕が追及しているのはあくまでも生きている人間が、より精神的に豊かに生きられる価値観を共有したいだけなので、<考える>と言うよりは、<感じる>方に意識を向けて聞いて下さると嬉しいです。

さて、話を戻します。
僕なりの解釈ですが、SNS、もしくはネットの空間は、「物理的な空間と時間を繋げて、情報そのものでコミュニケーションをとる世界。まさしく魂と魂のやりとりの次元である」、と定義して良いと思っています。
数学的定義という意味と考えると、必ずしもイコールでないかもしれませんが、イメージとして捉えて下さい。

そこで、今回はそのアンチテーゼについて考えてみたいと思います。
何故<ネチケット>という概念が存在してしまうと、<魂と魂のやりとりの場では無い>という発想になるのか考えてみましょう。
そもそも<ネチケット>というのは<ネットでのエチケット>の事です。
つまり、マナーであったり、接遇であったりです。
先ほどのアンチテーゼの言い分からすると、あることに気がつくと思います。
「<魂のコミュニケーション>にはマナーや接遇は不要である」、という無意識下の<思い込み>が入っているのです。

では、<魂>という言葉を<心>と置き換えてみたら、どうでしょうか。
「<心のコミュニケーション>にはマナーや接遇は不要である」……明らかにおかしいですよね。

もしかすると、このアンチテーゼを支持している人が一部にいるとするなら、この世、もしくは何処かの世界には、きっと無礼講でも何でも許される許しの次元が存在すると思い込んでしまっているのではないかと思います。
これらは、匿名性の高い媒体だったり、直接顔が見えない媒体なら無礼講でも許されるという<甘え>の心理の延長にあるとも言えます。

最近よく耳にする「炎上」という言葉。
もしかしたら<魂>にエチケットがないと勘違いしている人たちが、こうした間違いを繰り返してしまうのかもしれません。
本来の<魂>の在り方と事なる在り方をしてしまっているから、実は炎上してしまっているのは<魂>そのものなのかもしれません。
精神性を高めて円滑にコミュニケーションを取ろうと願うなら、そこには礼儀が存在しているのです。

もちろん、あなたがそれを知っているのはわかっていますので、参考までに。

PART.1