その想いは人々を穏やかに照らす 即身仏 鉄門海上人

東北地域における修験道の聖地として崇められる、月山・羽黒山・湯殿山の出羽三山。
湯殿山注連寺(ちゅうれんじ)は、山形県鶴岡市大網の七五三掛地区(旧朝日村)にあり、1200年ほど前に、弘法大師空海が密教を広めるために全国を巡った際に開創したのが始まりと言われています。作家の森敦が第70回芥川賞を受賞した『月山』の舞台として描かれ、七五三掛(しめかけ)地区は映画『おくりびと』のロケ地でもあります。

湯殿山の麓の山深い場所にある注連寺は、冬は雪がまるで絶壁のように降り積もり、その積雪量は家がすっぽり埋まってしまうほど。現代でも、下界と一切を遮断されてしまったような錯覚を覚える、不思議な空気が流れる場所です。
七五三掛地区では、かつては人々が生活を営み、周囲の田畑で農業を行っていましたが、2009年頃から起こった地滑りにより住民の大部分がこの地を退去、現在では数軒が暮らすのみとなり、付近からは人々の生活の香りがなくなりました。
注連寺は地滑りの現場からほんの数メートル高台にあり、直接的な被害は免れています。

注連寺の名前は、注連縄(しめなわ)が由来と言われています。空海が御神木の桜に注連縄を掛けて結界をつくったことが理由とされ、注連縄をそれぞれ7本5本3本と掛けたことから、その地域が七五三掛(しめかけ)地区と呼ばれるようになりました。そもそも注連縄は神道の祭具であることから、注連寺はかつて神仏習合の別当寺であったことが考えられます。

注連寺で必ず見ていただきたいのが、「鉄門海上人」の即身仏。鉄門海上人は、明和5年(1768)に鶴岡市に生まれました。湯殿山仙人沢で修行の後、人々が苦労する加茂坂に隧道をつくり、江戸で眼病が流行した際には、苦しむ人々のために、自分の左眼を隅田川に捧げたとも言われています。
即身仏とは、厳しい修行を続け、生きながらにして成仏した仏のこと。3年から長くは10年以上の時間を掛けて五穀・十穀を断ち、次に山草・木の実だけを食べる木食行を行って時間をかけてゆっくりと肉体の脂肪と水分を極限まで落とします。その後、土中室に入定し、読経を続けながら最終的に即身成仏します。鉄門海上人は3000日以上の苦行を行い、62歳で即身仏になりました。即身仏になる目的は、現世での自らの穢れや罪を取り除き、生きながらにして永遠の魂を得て仏になって、現世で苦しむ人々を救う力を手に入れること。

注連寺では、常時鉄門海上人の即身仏を公開しています。その即身仏の前に立って毎回感じるのが、語弊があるかもしれませんが「お姿の美しさ」。旧朝日村には他に、大日坊と本妙寺に即身仏がありますが、お姿の美しさでは、鉄門海上人がずば抜けていると感じます。
常人には想像すらできない厳しい修行の末に成仏した瞬間は、もしかしたらとても穏やかな瞬間だったのかもしれない……。そう感じるほどに、手はしっかりと胸の前に置かれ、姿勢も曲がることなく、穏やかな表情で下を見つめています。そのお姿、表情を見ていると、「鉄門海上人は確かに今この時も、私たちを守ってくださっている」。そう感じずにはいられません。

注連寺はアクセスが良い場所ではなく、七五三掛地区には地滑りの影響が今なお残っており、気軽に行ける場所ではありません。しかし、もしも近くにいらっしゃることがあれば、ぜひ立ち寄っていただき、鉄門海上人のお姿をご覧になってください。

湯殿山 注連寺
http://www2.plala.or.jp/sansuirijuku/index.html

大日坊
http://www.dainichibou.or.jp/

本妙寺(じゃらんサイト)
http://www.jalan.net/kankou/060000/061400/spt_06427ag2130009290/