ナチュロパスなみの自分の体を信じる PART.3 『自然を感じながら生きる』

都会に住んでいると、自然を感じることって中々難しいですよね。
私の今いるオーストラリアのメルボルンも、東京ほどではないにしろ都会ですので、普段の生活で大自然を感じる機会はあまりありません。
それでもガーデンシティーと呼ばれるメルボルンには、街のそこここに大きな公園があり、季節折々の草花やユーカリの木を眺めたり、芝生で寝転びながら青空を眺めたりすることができます。

月の満ち欠けも日本に住んでいた時よりは、身近に感じることができているような気がします。
月の満ち欠けは、人間の体に影響すると言われます。地球の約70%は水でできていて、人間の体も約70%が水分です。潮の満ち引きが月の引力に関係することを考えると、月が人間の体に何らかの影響を与えるのは当然のことのように思います。
女性の生理も『月のもの』と言われるように、本来であれば月の満ち欠けによって左右されるもの。
また出産も満月の夜に多いというのは有名なお話ですね。

先日久しぶりに娘たちと海に行きました。電車で15分くらい行けば海があるのですが、近くにいても『今日は海に行くぞ!』という覚悟がないと中々行くこともありません。
久々に嗅いだ潮風や、裸足で感じた砂の感触は、都会の生活で麻痺してしまっていた自然に対する深い愛情を思い起こさせてくれました。
たった2時間程海辺で過ごしただけでしたが、海を去る頃には言い様のない恍惚感と肉体と精神の完全なる弛緩を感じました。

大自然は時に優しく、時に厳しく。時には、いとも簡単に人の命を奪ってしまうことがあります。
私たちは自然、母なる地球、そして宇宙に生かされている、と感じること。自然に触れること、そして自然に対して畏敬の念を忘れないこと。
都会にいると忘れがちだけれども、様々な自然災害が地球上のそこここで起きている今、その感覚を忘れないことは大切だと思います。

友人が素敵な言葉を教えてくれました。

「私たち人類がいなくても地球は生きていける。でも地球が存在しなかったら、私たちは生きていけない。地球はでっかい宇宙に奇跡的に浮かんでいる一つの星に過ぎない。だから私たちも奇跡の存在。」

地球に、宇宙に生かされている奇跡の存在。私たち一人一人が自分も含め、周りの人たちも奇跡の存在だと意識することで、自分にも、人にも、地球にも優しくなれるかもしれませんね