夏バテだろうか……?
「忙しい……」を言い訳にしたくはないのですが、本当に忙しい。
忙しいから景気が良いのかというと、そういうわけではない。
今の僕にとっては夏は理不尽を受け入れ、自分の心身に嘘をつき続けなければならない季節。
嫌いな季節は、夏。働かなくていいなら、話は変わってくるのですが……。
というわけで、久々の休日。
目覚めると頭が痛い。部屋がぐるぐると回っている。部屋がメリーゴーランド。布団から出られない。
エアコンもつけているし、食事も、毎日適度に取っているんです。
体力と気力が、現実についていけていないんだろうな、っていうのを改めて感じた今日この頃。
突っ走っているときは気が付かないけれど、休みになったり、一段落したりすると、急にガクンと倒れて自分が無理しすぎていたんだな……って気づくことあってありますよね。
そういうのがタチが悪いとメンタルを病むきっかけになったりするんでしょう。
この記事を読んでいるみなさんも、くれぐれも気を付けてくださいね。
……と言いながら、別に元気なんですけどね。
こうして、呑気に記事を書くこともできていますし。心配を促すような発言、すみません。
アナ雪幻想
少しも寒くないわ。暑いですね、本当に。
よく、みんな、こんな暑さの中、頑張っていますよね。僕も含めて。
というわけで、なんとなくアナ雪を思い出しました。某国際的に有名なアニメ会社が作った『アナと雪の女王』です。
暑いときは、涼しくなるようなイメージ、浮かべたりしませんか?
僕はずっと『ありのまま症候群』について語ってきました。
「ありのままでいいのよ……」というアレです。久々に語ります。
でも、僕は「ありのまま」が嫌いなわけじゃないんです。
結論から言うと「ありのままを受け入れて、その上で自分が何を見て、何を感じて、何を決断するか」が大事だと思っています。
人は自分の心にうそをつき続けると病みます。
心も体も。モノは言いようですが、そういうのを僕は『個性』だと思っています。
得意不得意、好き嫌い、そういうのって個性ですよね。
例えば「算数が苦手とか言っていたら、これから先、生きていけないよ」って言われても困っちゃうじゃないですか。
「みんな、できるよ。気合の問題だよ」って言われても、苦手な人は苦手なんですよ。
給食で言うなら牛乳がどうしても飲めない子っているじゃないですか。飲める子には不思議に思われるけど、嫌いな子からすれば、飲むと吐き気を催してしまったりするんですよね。
「ありのままでいいのよ……」っていうなら、算数で0点取ったって仕方ないってことですよね。
「やればできる子」だと思うなら、許されないですけどね。
牛乳が飲めなくたって、良いんですよ。だって、受け付けないんですから。
その子の体質が。アレルギー診断とか、そういうことじゃなくてね。
「ありのままでいいのよ」っていうなら、自分や他人の『ありのまま』を本気で受け入れてあげる覚悟を持ってくださいね。
ここ、超重要事項ですからね。
ありのままを受け入れる気もないのに、ありのままを美化するのが間違ってるんです。
ペルソナ
僕は知力も低いし、優れた能力もありません。誇れるものは「まだ生きてる」ってことくらいでしょう。
命について真剣に考えると、なんとなくわかってきますが、ただ生きてるだけって、くだらないことに思えるかもしれないですが、滅茶苦茶すごいことですからね。
コンプレックスに常に押しつぶされそうになり、社会に対しても不満ばかり。
でも、生きてるんですよ。お腹もすくし、見たい映画もある。
笑うことだってたくさんあるし、良いこともそれなりにある。しあわせなんです、割と。
でもね、僕は『ありのまま症候群』じゃないですよ。
つまり、開き直りすぎて、周囲のことを考えず、空気も読めず、自己主張さえして、それが正しいと思い込んでいる人たちとは違うってことです。
『ありのまま症候群』の人って、言い方を変えると「オンリーワン」という言葉に執着しすぎていたりもするんですよ。
というか、みんな最初からオンリーワンですよ。強調しなくてもね。安心していいですよ。
それにね、自分を演じ分ける『ペルソナ』だって大事なんですよ。
僕が、こうして偉そうに記事をかけているのだってペルソナあってこそです。
ここでは、ココロセラピストであり、ライターというペルソナなんです。そして、これも僕という存在の一部に過ぎないんです。
例えばですけど、中間管理職をイメージしてください。
せっかく肩書だけ偉くなっても、好きなことが何でもできるわけじゃないんですよ。
部下の生活を守るっていう大事な役割も出てきますからね。本当は、こうした方が良いんじゃないかなって思うことがあっても、職場のバランスを保つために自分の意見を敢えてなかったことにしてみたり、時には部下に恨まれるような発言をしなければならない時だってありますよね。
でも、そうしないと、組織が運営できないし、部下が守れない。そうなると、お客さんも守れないし、収益にもつながらなくなるんですよね。
出世できない人をイメージしてください。
自己主張は大事なんですが「俺は、ただ、思ったことを言っただけです」という言葉が口癖な人っているでしょう。相手の気持ちや空気を読んでないから、場が悪くなろうと知ったことじゃないんですよね。
自分より権限を持った人を怒らせたら、物事が進まなくなっちゃうんですよ。
最終的なゴールはあっても、何も考えずに突っ走って自爆するのは言い切ってしまえば愚かです。
そのせいで、同僚も迷惑を被るんです。
正論しか言わない人もそうです。
生きていくには『世間の目』も軽視してはならないんですね。個性とか自己主張とかオンリーワンとか、大事ですよ。
時には、敢えて場の空気を壊さなければ前に進めない時だってあると思います。でも、それはいつも、ではないんです。
ここぞというときにやるものなんです。じゃないと、身が持たないですよ。
振り回される周囲の人の気持ちも考えてくださいねって話なんです。
世間の目を気にするってことは『クリーンなイメージ』を与え続ける必要性があるってことですよね。
でも、時には『汚れ役』あるいは『恨まれ役』を買って出なければならない時もあるんですよ。
それができないなら、少なくともリーダーにはなれません。
今はリーダー論を話しているわけではないので、深く考えなくていいですが「ありのまま」で、常に自分をクリーンでいさせたいのなら、人の上に立たない方が良いです。
誰かを犠牲にせざるを得ない時、自分を犠牲にしなければならない時、悲しそうに静かに泣いていたって、そんなのはただのナルシシズムにすぎません。そういうありのままを望むなら、小さく生きた方が良いです。そういうしあわせもたくさんありますから。
キレたいけれど、我慢する。嫌いな相手にお世辞を使う。好きな相手が目の前にいても、近づきすぎない……などなど、人って、人に限ったことじゃないかもしれないけど、空気を読んで、その時に最善の選択をして、その場その場で、それにふさわしい役を演じることも大事なんですよ。
さっきも言いましたが、『ありのままを受け入れてあげる』っていうのも大事で。受け入れてあげられる器量がないなら、『ありのまま』を語る資格はありません。
僕は差別は嫌いです。
でも、たぶん、いたるところで差別をしていると思います。偏見だってたくさん持っていると思います。
そんな自分がかっこいいかと言われれば、ダサいでしょう。
でも、そんな自分も自分なのだと受け入れたうえで、その都度、立ち止まって考えるんです。
醜い自分、受け入れがたい自分、それも、自分。
自分という存在は美しいもので、ありのままの私はすばらしい。
それって、ちょっと違うんです。だとしたらソシオパスだって美しいし、すばらしいんです。明らかに変でしょう。
何が言いたいかっていうと、美化しすぎないようにってことなんです。
人間は素晴らしいですよ。素晴らしいけど、完璧でも万能でもないんです。
厳密にいえば美しくもないんです。
愚かで、弱くて、醜い存在なのかもしれません。
失敗を繰り返し、時には後悔し、傷つき、そんな自分と常に向かい合い、人生を通して自分という人間を成長させていく。
そんなプロセスこそが美しいんだと僕は思うんです。
ありのまま→自分を解放せよ→空気なんて読むな→開き直れ→好きなことを言え→やりたいことをやれ→他人のことなんか考えなくていい……なんて、思っている人のことを、なんというか知っていますか。そういう人のことを、少し前の人はこういったんです、『KY』と。
だって、そうでしょう。そんな人が「なんで、誰もありのままの私を受け入れてくれないの? なんで、ありのままの私を好きになってくれないの……?」なんて言われても困るでしょう。
「だってさ、それって、自分のことしか考えてないし、相手を支配しようとしてるのと同じじゃん?」って話なんですよ。
ありのままの自分を四方八方が受け入れてくれたら、そりゃあ、生きていて楽だと思いますよ。
でも、自分だって、誰かのありのまま、受け入れきれてないでしょう。
そんな理不尽な自分を受け入れつつ、少しでもQOL(人生の質)を高めるためには、今の自分は何をすればいいんだろう。それを考えて、実行する。
そんな考え方を僕はお勧めします。押し付けはしませんが……。
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