ココロセラピストが語る!? 諦めるということ、諦めないということ ~悩み続けることもあるけれど正解なんてない~

諦め

諦め癖がある?

諦め癖があって悩んでいる人ってたくさんいるんですよね。たとえば、仕事を直ぐに辞めちゃう人とか。
周囲の人たちに「根性無し」とか「みんな苦労してるんだよ」とか「我慢しろよ」とか、とにかく、いろいろ言われて凹みますよね。

わかりますよ。ものすごくわかりますよ。
でも、本当にそうなのかなって思いませんか。
そういうものなのかなって思えないですよね。
もやもやした霧が頭の中に充満しているような不快感、ありませんか。

 

諦め癖って悪なのか?

諦め癖って、必ずしも悪い癖じゃないと僕は思うんですよ。
たとえば、夢を簡単に諦めてしまう癖があるとか、そういうのは勿体ないと思いますよ。
諦めた瞬間に夢は本当に夢になってしまって、現実になりませんからね。

ちなみに、癖じゃなければ、諦めると言う決断をしたのであれば、それはそれでひとつの答えなので自己嫌悪に陥ったりしなくて良いと思うんですね。
ある意味、決断できた自分を褒めてあげても良いと思うんです。

たとえば、本当に地獄のような環境がそこにあったとして、そこから逃げたとして何が悪いんでしょう。
病気になってしまったり、最悪命を落としたりしてしまったら意味がないですよね。生きていてこその人生ですから。逃げなきゃ。

そうなんですよ。逃げなきゃいけない時ってあるんです。
なんでもかんでも、話せばわかるとか、戦って自分の力を見せつけるとか、そういう考えに固執すると、結果的に痛い目を見ると思うんですよ。

地獄の次が地獄だったら、また逃げれば良いんです。
もちろん、逃げているだけじゃなくて、その地獄を少しでも改善できないか考えるってことも必要ですよ。
または、次は地獄に行かなくて済む方法を考えながら逃げることも必要です。

 

人生そのものを諦める癖がついてない?

逆に「どうせ、何処で何をしても人生変わらない……」って思って、受け入れてしまっとしたら、それはそれで人生を諦める癖がついてしまっているのかもしれませんよね。

常に思考錯誤を繰り返しながら、地獄だろうと何だろうと環境を変えていこうとするのが天命だと思えるなら、それはそれで立派な決断だと思いますけどね。

諦め

 

何のために諦めるのか。何のために諦めないのか。

結局、人生って正解がないんです。
だって、違う選択をしたらどうなるかって、やってみないとわからないから。わからないことだらけなんですよ。

たとえば、学校だって入ってみなければわからないじゃないですか。有名だから、近いから、学費が安いから、と、何を条件に挙げるかも大事ですよ。
でも、性格が悪い子ばっかりいる学校だったら、しがみついてでも卒業したいですか。そこの卒業証書が欲しいですか。不登校したくなりませんか。あるいは転校したくなるかもしれませんよね。

ものすごく優しくて教え方の上手い先生がいたから、進学率がよかったとか、数色率が良かったとか、そういうことがあったとして。その先生がいなくなったら、その学校の価値が下がったりしませんか、自分の中で。世間がどうとかじゃないですよね。何が言いたいかって言うと、自分が何処で納得できるかが大事ということなんです。

「諦めない」って大事ですが、何のために諦めないのか。これ、ものすごく重要ですからね。
しがみついて離さない価値が本当にあるのかどうかを見極める必要ってあるんです。

 

運を軽視しない方が良い。

運を軽視しない方が良いです。運は大事です。
そういう意味では、何かを諦めて見限るタイミング、もう少ししがみついてみようかと思うタイミングもあったりします。

日常って毎日、同じようなことが繰り返されていますが、似ているだけで、微妙に何かが違うんです。
今まで良かったものが急に悪くなったり、今まで悪かったものが急に良くなったりすることもあるんですね。

たとえば、職場に大嫌いな人がいて発狂寸前で辞めようかなと思っていたら、何故だか、相手が先に辞めてくれた……なんてことも可能性としてはゼロじゃないんですよ。そうしたら、むしろ問題が消えるわけなので、辞めない方が良かったってことになりますよね。

問題がゼロになることはなくても、心身を蝕むレベルの要因が排除されたとしたら、後はもしかしたら自分の今後の動き方次第で起死回生できるかもしれません。辞めたくなったらすぐ辞める、逃げたくなったらすぐ逃げる、という判断力も決断力ももちろん大事ですが、時には様子を見るということも大事です。もしかしたら、自分が見落としていたチャンスが何処かにあるかもしれません。

諦め

僕も何度も人生の危機に陥ったことがあります。「僕の人生もう終わりだ……」と本気で思ったことも、何度もあります。正直、生きていても仕方がないと思ったこともたくさんあります。自分以外が全員敵に思えたこともあります。いくら努力しても自分が不運である限り、救いなど存在しないのだと思っていたこともあります。

でも、今僕はこうして生きています。そして、楽しく、暢気に(?)執筆しているわけです。
こういう時間が、とても楽しかったりするんですね。

それって、どういうことかって言うと、自分が不幸かどうかとか関係なく、それはそれとして、原稿を書き続けた結果なんですね。

死ぬほどイヤなら、さっさと見限った方が良いですが、自分がそれを望んでいて、自分の心がなすべきことを知っているとしたら、それを続けた方が良いです。少なくともゲームオーバーにはなりません。

とりあえず生きていて、煉獄さんの言葉を借りるなら、「自分の責務を全うする」ことができれば、人生の光ってたぶん消えないんじゃないかなって思います。

 

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