たんぽぽさん

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次々に長男に降りかかる災難

DATA 1967年11月03日10時28分生まれ 出生:長野県 女性

昨年から長男の災難が絶えません。
最初は、学校行事で友達の打ったマレットゴルフの固いボールが目に当たり、次に友達のストレスのはけ口に暴力を振るわれました。
それが解決したと思ったら、友達に転ばされて永久歯の前歯を折り、差し歯に・・・(マレットゴルフの時の子です)
その際、相手の嘘や先方の親の心無い対応で親子ともにとても傷つきました。
それが落ち着いたと思ったら、高熱が続き入院。普段は元気印の長男なので、ここまで続くと何かあるのでは?と思ってしまいます。
何か意味があるなら教えてください。 長男2000.5.16生まれ

投稿者

むろん、故意の出来ごとや暴力が正当化されていいわけではありませんが、いまは起きていることの見えない部分、背景となる仕組みについてお話しいたします(霊的な面を納得できるようにお話しようとすると大変長くなり、こういった場には向かないと思われますので、現実的な側面にのみフォーカスしてお伝えします)。

故意にされたものであれ不注意にされたものであれ、息子さんは現在「傷つけられたものの痛み」を理解するというレッスンを学んでいらっしゃいます。

息子さんが普段元気にしている影で、気づかない間に傷ついていたり、周りの人たちから顧みられず、痛みを抱えているお友達は周りにいますか?
もし顔が浮かぶとしたら、そのような周りの子たちは、息子さんの「傷つけられるものの痛みを理解する」レッスンを学ぶことに無意識のうちにも関わっている、ということになります。
それがもし息子さんと何ら関係のないこと、と思われたとしても、息子さんが「傷ついたものの痛み」を想いやれるようになることは、今回の人生(今世)において必須のレッスンであると言えます(霊的には全く因果関係のないことは起きないのですが)。

先方の心ない対応に、親子ともにとても傷ついた、とのこと…。
「責任を受け入れない態度」「自分たちは悪くない。自分さえよければそれでいい態度」をとられたときの、ひどい気持ち。本当に辛いですよね。

けれど、痛めつけられた者の傷や痛みを理解できるようになることで、お母様も、息子さんも、人間として一段、成長されるはずです。ここで、少し気持ちを息子さん(とご自身)から離して、「痛めつけた側」つまり息子さんを転ばせた子や暴力をふるった子のことを考えてみましょう。

その子たちは、どんな環境、どんな状況に、どんな親御さんのもとに、どのようにして育てられてきているのでしょうか?少しそのことに思いを馳せてみると、その子たちも「憤りを感じていたり」「傷ついていたり」「周りから無視されていると感じている」ことに気がつかれるかもしれません。

大事なことは「病気になるって苦しいね。怪我をするって辛いね。思いやりのないことって本当に嫌だね。健康であることはありがたいことで、思いやり合うことって本当に大事だね」ということを共感して、「なぜ出来ごとが起きたか」よりは、「そこから何を学んだか」に焦点をあてて、そのレッスンを学びとるように努めてみられることです。

「責任があると思われる人たち」を責めたり、謝ってもらうこと、罪を認めてもらうこと(それが相手にとってのレッスンということもありえますし、ときに必要なことでもありますが)だけに終始してしまうと、レッスンの半分だけを学ぶことになります。

この機会に、「これまで私やあなたの周りで、私たちや周りの人たちが気づかない間に傷ついたり、傷つけられたりしていて、一人で悩んだり、苦しんでいた子はいただろうか?」と親子で話し合ってみられませんか。「親との関係や、周りとの関係なのかな。何が原因となって、そういう態度になってしまっているんだろうね?」などと。

もし「周りに傷ついたり、辛い思いをしている子はいない」と思われたなら、「今後そのような人たちや状況に気づいたら、まず自分には何ができると思う?」「不注意でした、気づきませんでした、といって失明でもしたら取り返しがつかないことになる。事故をおこしたほうも、怪我をしたほうも、お互いに大変な思いをするよね。今後、こういう危ないことが起きないようにするために、いま何をしたらいいと思う?」と話しあってみてください。

そうすれば「問題」を「課題」に置き換えて「出来ごとから学ぶ」姿勢を援助してあげることができます。

このような経験から、息子さんが将来「人々の財産や健康や心を守る職業につきたい」と思われるかどうかはわかりません。が、少なくとも、これからも出会うであろうさまざまな課題に対して、息子さんが、周囲の人たちの気持ちを理解したり、思いやることができ、課題を解決していくことのできる、公平で素晴らしい大人に育っていくことをお母様が手助けすることもできるのです。

念のため付け加えておきますが、そうはいっても、やられっぱなしで何をされてもおとなしく受け入れてください、と言っているわけではもちろんありません。
「今回のことで僕もとてもショックだったし、悲しかったし、辛かったし、傷ついた。だから傷ついた人、辛い思いをしている人の気持ちが前よりもよくわかるようになった。不注意が、ときに大きな事故やトラブルを招くこともわかった。自分もこのことからいろいろなことを学んだと思う。今後このようなことが起きると、関わる人たちは皆、嫌な思いをする。不注意が人生を台無しにしないように、何ができるか、どんなきまりごとが必要なのかなどについて、考えたいと思います」などと提案しても、よいのではないかと思います。

人は、隠したいことが、いずれ明らかになるとわかれば、したくなくなります。傷ついた感情の吐け口を求めようとするのでなく、深い愛をもって公正に前向きな声をあげるなら、周りの人たちも触発されて、いずれ、自分たちのしていたことに気づき、公正さを取り戻していくでしょう。

最後に、たんぽぽさん、お子さんのことですから親御さんとしても大変ですし、心配ですよね。しかし、とても大きなエネルギーを秘めたお子さんとそのお子さんをよい方向へ導いていけるお母様であるとお見受けします。どうぞ頑張ってくださいね!
心より、応援しています。

投稿者

Rev.REIMI先生、丁寧にお答えくださってありがとうございます。

そうですね。辛いことではありましたが、親子共に学んだことが多い出来事でした。
最初はその現象そのものや長男や自分の気持ちにフォーカスしてしまい、相手のことや背景まで考えられなかったのですが、親子で毎日のようにたくさん話をして、その中で少しずつ変わってきたように思います。

「傷ついたものの痛み」を想いやれるようになることは、今世において必須のレッスンであるとのこと。そのサポートが出来るように、私も意識を変えていくことが大切なんですね。
まだまだ未熟ですが、自分の感情に溺れることなく「そこから何を学んだか」「何をしたらよいか」に焦点をあてて考えてみようと思います。
長男ともご提案いただいたような話し合いをしてみますね。

これからはもっと深い視点でものごとをみてゆこうと思います。
本当にありがとうございました。

投稿者

たんぽぽさんこんにちは。

大変なことが続きお辛かったでしょう。

Rev.REMI先生が言っているように、きっと「傷ついたものの痛み」を知るというレッスンだったのでしょう。

もう一つ私から言えるのは、人は一瞬一瞬の想いに気を配るべきである、ということです。

「自分は不幸である」という想いは、本当に現象を引き寄せます。

世の中には、本当に不幸な出来事が重なっている人々と、平和で幸せな人達が居ます。それを決めるのは人の一瞬一瞬の想いなのだと私は思います。

物事を深く考え、原因を知る、学ぶということと同じぐらい大切なことが、考え過ぎないということです。

頭は、本当は物事を考え解決する所ではなくて、雑念を出さないようにしなければならない器官なのです。

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