出雲の地を短い期間に繁栄させたのはスサノオとその子、オオナムチでした。
発展の力となったのは天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)であると言えます。
時代が下ってもヤマトタケルの身を火攻めから草を薙いで守った天叢雲剣は、強力なパワーをもつ神剣であったのです。
その神剣はヤマタノオロチから出たものです。
ヤマタノオロチの正体
ヤマタノオロチの正体は、北陸から山陰を治めていたマスヒト(地方の国を治める連)の娘で皇(スメラギ)のお妃ハヤコであるとホツマツタヱには記述されています。
なぜ、ハヤコはオロチに身をやつすことになったのでしょうか。
ハヤコの姉、モチコが生んだ第一皇子は嗣(ヨツギ)にはなれず、皇太子に選ばれたのは内宮(正妻)セオリツヒメの産んだ、末っ子で体も弱い皇子でした。
ここで内宮と皇への恨みの火種が起こります。
モチコ・ハヤコの実家には邪・悪・堕政が巣くっていきました。
国津罪(クニツツミ)を犯したハヤコの父の部下はヒカワ(島根県斐伊川流域)へ流刑に処され、それらの罪を排除することをしなかった父は堕政を咎められ、死後の祀りを許されませんでした。
そんな時出会ったのが、暴れん坊の弟皇子スサノオでした。
意気投合したハヤコは「天下をとれ」と弟皇子を焚きつけたのでした。
そのことがセオリツヒメにばれて宇佐の地へ、モチコ・ハヤコは蟄居命令を受けました。
宇佐でおとなしくしていれば“転落”は防げたでしょう。
けれども姉妹は「恨みというオロチ」に捕らえられのがれることができませんでした。
むしろ、スサノオという巨大な器を得たことでオロチは「スサノオを皇(スメラギ)にする」クーデターの炎の中に身を投ずることになったのです。
恨みのオロチ、踊る
ハヤコらへの処分を不服におもいタカマで暴れたスサノオは、人を死に至らしめます。
天津罪(アマツツミ)の限りを犯したスサノオは、死刑を免れたもののタカマを追放され卑しいさすらいの身となります。
弟皇子でありながら罪人の刺青を入れられて彷徨うことになりました。
そのスサノオを待ち焦がれたのが、九州で地下活動を始めたハヤコでした。
ハヤコの目的は「スサノオを皇に据える事」です。
ハヤコは「スサノオが皇になった暁には位を授ける」といって土地の豪族たちを反逆行動に駆り立てたのでしょう。
「スサノオが立つ」と噂が噂を呼び、国は蜂の巣をつついたように荒れました。
8代目の天照大御神時代に南は九州、北は東北からタカマに向かって六つの賊軍が伊勢に向かい襲い掛かってきたとホツマツタヱに書かれています。
大牟田のヤツルギ神社のご祭神はほとんどがスサノオです。
スサノオを立てる祀りなのです。ハヤコがイキイキと大蛇となって躍動する姿が目に浮かびます。
出典:大牟田【大蛇山】まつり よりhttp://www.omuta-daijayama.com/about.html
しかし、当のスサノオは女大蛇ハヤコの担ぐ神輿には乗りませんでした。
主をもとめてさまようハヤコオロチ
スサノオを求めてハヤコは北広島にたどり着きます。
北広島で炭焼きの女房になったことが民話に残されています。
“ある日、紀州から来たという女がやってきて炭焼きの女房におさまってから裕福に暮らした。
ところが、夜な夜な出かけていく女を付けてみると、オロチになり沼に入っていく。
「わしの正体はもう知られた。それに、沼がもう狭うなった。これから出雲の簸(は)の川上のヤガタガ池に行く。」といって出て行った。
この女とは、実は、九州の日向から紀州に行き、そこからまた安芸の国の戸河内に来ていたことのある簸の川上の八岐(ヤマタ)のおろちだったゲナ(ゲナは方言:意味は「だったそうだ」)出典:ひろしま文化大百科“