ココロセラピストが語る!構ってちゃんの趣味は悩む事?『悩み尽きない人』の特徴とは?

悩み続けることがアイデンティティ!? 「エンドレス悩みシンドローム」の構ってちゃんとは?

悩む事は決して悪い事では無い!

人は誰しも悩むものです。「私、悩まないので」と自信満々に言う人はゼロではないかもしれませんが、かなり少数派だと思います。羨ましい気もしますが、もしかしたら空気が読めず、自分自身に対して無頓着だったり、人の苦しみや悲しみを理解できない人だったりするタイプの人かもしれません。そうだとすると友達が少なかったり、嫌われたりする可能性が高まるわけですが、本人が気にならないのなら、それはそれで問題ないのかもしれません。ただ、個人的には、悩みはできるだけ少ない方が良いけれど、自分や他人に無頓着過ぎる生き方はあまり望ましくないです。

恋愛だって相手の事を想うからこそ辛かったり悩んだりするのです。育児だって我が子を立派な大人に育てたいと思うからこそ悩むのです。だから悩む事が必ずしも悪い事かというと、決してそういう事では無いのです。

必要な悩みならあっても良いのです。ただし、「悩み」という言葉のイメージがネガティヴに思えるのであれば「解決するに値する問題がある」と言葉を置き換えてみるのも良いでしょう。

エンドレス悩みシンドロームとは?

悩み多き人たちのタイプの中で特に目立った存在があります。とにもかくにもひたすら悩んでいる人のことです。名付けて『エンドレス悩みシンドローム』と言ったところでしょうか。もちろん、そんな疾患名はありませんし、定着させる必要はまったくありません。イメージしやすいと思って暫定的にネーミングしただけですので、この記事を読み終わったら忘れて結構です。ただ、本音のところは直接本人と本気でお話してみない事にはわからないのですが、彼らには際立って目立ったポイントがあります。それは、実は悩みを解決したくないのではないかということです。

悩みを解決したくない人なんているの?

悩みを解決したくない人なんているのかと思うかもしれません。もちろん僕自身、悩みは極力早急に解決して行きたいタイプなので違います。殆どの方が悩みは一刻も早く解決したいと思うと思います。無駄な事でウジウジしているよりも生産性のある自己実現に向けた視点を持っていた方が良いですものね。

では、悩みを解決したくない人とは、どういう人なのでしょうか。これは根深い問題を抱え、ひとことで説明できるモノではありませんが、代表的な例を挙げて説明します。極論を言えば悩み続ける事でアイデンティティを確立させている人は悩みを無くすわけには行きません。「悩んでこそ、私」なのです。悩みが無くなってしまったら、私では無くなってしまう。そのように考えたら悩みが無くなってしまう程、恐ろしい事はないかもしれません。

健全な人間は自己肯定感を持っています。自己肯定感とは自分自身の重要性をわかっている人、自分自身の存在を愛おしいと感じられる人の事です。『アナと雪の女王』ファンに馴染のある言葉で言えば「ありのままの私」が好きな人です。「ありのままの私」に関しては間違った解釈をすると生きづらくなるので、安易に使いたくない言葉でもあります。

自己肯定感が低い人はといえば、自分の重要性をいまいち理解していませんので、自分以外の誰かに如何に気にかけて貰えるかを重要視します。他人に自分を意識して貰ってこそ、気にかけて貰ってこそ私は私なのだと思ってしまいがちです。今風の言葉で表現すると『構ってちゃん』に近いと思います。

誰かに気にかけて貰えないと自分の存在を認められないので、とにかく誰かの気を引く事に力を注ぎます。世の中の役に立つ事をどんどんやって、尊敬のまなざしを集めるのであれば社会的に良い事ですし、たくさんの人が自分の事をフォーカスしてくれると思います。しかし、縁の下の力持ちでは自分に注目が集まらないので、そういうものは好みません。大きな善行で自分を演出するのはなかなか大変そうです。

そうなると、悪い事をして目立てば良いのか。それも微妙です。確かに誰かに自分を知って貰う事で喜びに感じられるなら本人的には良いのかもしれませんが、これは迷惑極まりない行為です。社会的に許される事ではありません。

となると第3の道が必要となって来ます。それは、自分自身の同情を引く事です。自分自身を悲劇のヒロイン(またはヒーロー)に仕立て上げる事で、誰かの意識を自分に向けたいのです。

誰かの気を引くために相談事等をして運良く真剣に話を聞いてもらえてしまったりすると、潜在意識に成功体験としてインプットされてしまい、そうなったらもう大変です。意図的ではないにしても潜在意識レベルで自ら悩みの種を大量生産してしまうのです。近年では、インターネットの普及等もあり、情報を簡単に拡散出来ますので、特定個人に相手にされなくても、あの手この手と「私、悩んでるんです!」という情報発信をするので厄介です。

人間観察が好きな人は気付いていると思いますが、トラブルに巻き込まれる人、問題を多く抱えている人、事あるごとに凹んでいる人たちって、ほぼ同じ人間ではないでしょうか。

運良く問題解決できたとしてもハッピーエンドなどという事は無く、また直ぐに「私、悩んでるんです!」というアピールが届きます。悩み癖そのものこそが、悩みの原因なのではないかと言いたくなりますが、そんな事を言おうものなら、それを新たな悩みにして「私、悩んでいただけなのに…悩み癖と言われて…」と別の人にアプローチをかけられかねません。

心の問題ならカウンセリングが有効である事は言うまでもありませんが、この手のタイプはカウンセリングを生理的に嫌います。自分の抱えている悩みは「カウンセリングなんかで対応できる問題では無いのだ!」的な主張を、比喩を駆使してアプローチして来ます。

悩み癖で自滅する人もいれば、
幸せになる人もいる?

僕からしたら、この手のタイプとは関わらない方が良いと思うのですが、少しだけ彼らにフォローするとしたら、「そういうタイプの人がいても良い」ということです。僕とたまたま住む世界が異なるだけなのです。

S(サド)の人がいればM(マゾ)の人もいます。SとSがぶつかれば対立しますが、SとMが良い感じで組み合わされると満足度が高まります。

ビジネスに例えるならお金を支払うから働いてくれる人が欲しい人もいれば、お金が欲しいから仕事をしても良いと思う人もいます。だから仕事は成立するのです。これに善とか悪は関係ありません。

ボランティアもそうです。するのが好きな人がいれば、受けるのが好きな人もいます。もちろん興味の無い人もいます。これもビジネス同様、善悪の問題ではありません。

『共依存』という言葉があります。「彼の酒癖の悪さのせいで私は辛くてたまらないの」といいつつ「私がいなければ、彼は生きていけないのよ」と、彼を支える事で自分のアイデンディディを保っている人の事です。

残念ながら健全とは言えませんが、お互いがお互いを必要としあっていて、無理強いしていないのであれば、それはそれで問題なく、考え方によっては幸せなのかもしれません。