ミディアムってなんかわからないけど、
この能力はそう表現されるものなのだろう……
キース・ビーハン。彼はミディアムである。そしてこの春日本で「ミディアムシップスクール」を開校する。
昨年の夏、私は友人の勧めで彼のセッションを受け、彼が感じているものを共有した。彼は私が聞いていることを言葉にしていた。
その日その時、同じラジオ放送を共に聞いたという感じがしました。
半世紀近く不可視の存在と交流しながら生きてきたが、ミディアムという言葉は正直なところまだしっくりきていない。海外ではそう表現されるんだなという程度だが、では、チャネラーとはどう違うのだろう?
「両者ともに自然界に常在するエネルギーを運用するもので、ミディアムもチャネリングを行うチャネラーも基本的に同じことをしているといえます。」再会から間もなく投げかけた質問に対して彼はシンプルに答えてくれた。
では、ミディアムであるキース・ビーハン氏が考えるミディアムとは?
「この地上に既に存在しないもの、たとえば祖先などの故人であったり、精霊や高みにある神などと交信し働きかける技術を持っている存在をミディアムといいます。」
彼がまとっているエネルギーの層はとても清んでいる。質問に対して耳を傾けつつ何かを感じながら淀みなく話す。
会話のなかで共通していたのは、「ミディアムとは、不可視の存在可視の存在との間に在り、両者の仲介をする技術をもった存在である」ということだ。
「ちょうどトランスミッターのような存在ですね。今私たちが同時に受信している情報、これは相手には見えないし聞こえない。だからその仲介者として伝える技術を使って伝える役割です。」
具体的に彼が経験しているプロセスはこんな感じだという……
「まず自分を無にすることによって、高次の存在からもたらされた情報を理解します。あるいは感情として自分の中で受け止め、そのままの形でクライエントに伝えます。」
とてもにこやかに応えてくれるが、「自分を無にする」ことも「高次の存在の情報を理解する」ことも「感情として受け止めたことをそのままの形で伝える」ことも、簡単ではない。
言うは易し行うは難しである。
たとえば瞑想を行う人はたくさんいるし、無を経験する人も少なくはない。
しかし無の状態を必要に応じて持続させることは誰にでもできることではない。それ相当の鍛錬を積み経験を持っているから言えることだ。
さらに相手に聞こえていない情報を相手が理解できる言葉として伝えることは、また別の難しさがある。そこには人間としての質が関係してくると私は思う。
親しみやすい佇まいではあっても、キース・ビーハン氏という人は半端ない鍛錬を積んだ人ではないだろうか。
物心つく以前から、不思議な行動をしていて、
自分には特殊な能力が備わっていることを自覚していました。
私のケースでは、幼少期から不可視の存在と関わっていた。
というより、他の人も同じだと思って過ごしていた。でもやがてそうではないということに気づいて孤独を味わうという経験をした。彼もまた、幼少期から不可視の存在を感知していたという。
「姉たち曰く、すごく小さいころから不思議なことを感じていたようです」と。
乳幼児の頭蓋骨が閉じるまでの期間は、不可視の存在を感知しているので、赤ちゃんのころなら、「感性豊かなお子さん」となる。
しかし彼は違った。「言葉を話す前からキョロキョロとあちこちを見て笑ったり反応していたけど、話すようになったら<あそこにこういうのがいるよ>など、彼女たちの目でとらえられていない何かと交信していたと聞いています」
キース・ビーハン氏が自分の能力を自覚したのはいつなのだろう?
「若い頃から自分には特殊な能力が備わっていることは自覚していました。
しかし、その能力をどうするべきか分からず、ずっと混乱とか葛藤のようなものを感じて過ごしていました。幼ないころに父が他界し10代で母を亡くして、成人して結婚し子どもを授かって、現在またシングルになったわけですが、その道のりで私は次第に自分の能力をどうするべきか理解するようになったし、自然に取り扱うことができ関わるようになりました。」
彼が自分お人生に起きたことを語っている最中、そう大きくないけどとても美しい湖が見えた。そこには純粋を体現したようなロングヘアの精霊か女神がいた。そのことを伝えると「ああ、知ってます」と、ちょっと赤くなりながらはにかむような笑顔になった。
キース・ビーハン氏は100年の歴史を持つイギリスのサイキックスクールに通う以前、高齢の女性ミディアムの元で能力について学んだという。
次回は、彼がどのように特な能力を開発し取り扱いを学んだのかお伝えします。