なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
(どなたさまがいらっしゃるのかはよくわかりませんが、(ご好意が、お気持ちが)恐れ多くてありがたくて、ただただ涙が溢れます)平安末期の歌人西行法師が漂泊の旅の途中、伊勢神宮の五十鈴川のほとりにて詠んだ詩です。参拝の心意気を伝えてくれている、私の参拝の原点、大切な大切な心の一句。
《日々命があること……有難いなぁ。》
蛇口をひねりそのまま水が飲める国、ニッポン。普段は忘れがちですが、日本に住む私たちはさすがの神国ニッポン(諸説あり)すでに色々なところでたくさんのご加護をいただいています。お水を沸かさずそのまま飲めること&飲める水でお風呂に入れること、ただこの一点においても世界的にみて、非常に恵まれた環境。公園の水もただで飲めちゃう。寒さをしのげる家がある。あったかいご飯が食べられる。衣食住だけでも、私たちの生活は実は有難いことだらけ。
また私は難病から命を救ってもらった一人(紹介ページ参照)で、生きるか死ぬか三途の川を渡りかけたことが何度かあります。そのたびに、命を救ってもらった。生かされた命。見えない世界と見える世界、たくさんの方々のご加護の元に私たちの生活は成り立っています。西行さんがおっしゃるように、どなたかは存じあげないけれども、ただありがたくかたじけなく、思わず手を合わせてしまう。
この日頃の感謝を伝えに行くのが神社であり、『神恩感謝』の心です。
《神社をジャッジはいたしません!》
例えばあなたがお客様をお家にお呼びして、その訪問中に客人から『このソファは好みだけどこの照明はダサいわね。』などお姑さん並みにいちいちジャッジされたとしたら……私だったら、自分の家に二度と呼びたくない‼︎ 日頃の感謝を伝えに行くはずのところで、『この神社は良かった。あの神社は……』って、まだお伺いしている最中に、それぞれの神社を比べるジャッジは必要ですか? それってかなり失礼なことなのでは……自分の立場に置き換えて想像してみましょう!
長距離移動ができるようになった現代では、色々な神社に行ってそれぞれを比べることができますが、伊勢へのお陰参りも一生に一度できるかできないかの時代には、自分の家の近くにある神社に【感謝を伝える】ことで、人々は満たされ、十分守られていました。全国の神社に行ける交通手段の発達に感謝して、どの神社との出会いも足るを知りましょう。
特に、神様のおうちである境内で、その神社の『ここは気がちょっと……』など、ネガティヴなフィードバックは全くおすすめできません。自分の家も大して掃除が行き届いていないので、私は全国津々浦々、恐れ多くて間違っても神様のお家のジャッジはできません。言っても、この神社さんは金運に特化しているよ〜など、それぞれの素晴らしさの特性程度。神社の境内で『気がわかるアピール』しなくても、普段の立ち居振る舞いで大体バレてます。神社の中で評価することで、招かれざる客リストにランクインしちゃっているかも……⁉︎ 神様の前では私たちの心が筒抜けであることを肝に命じて、参拝しましょう!
全国津々浦々、色んな神社にお参りできていること自体が、この時代の日本に生まれた奇跡☆身の回りのありがたいことに日々気づき、一年に一度は感謝を伝え、思わずありがたさに涙が溢れる参拝ができたら。今あることに満足できる人にさらなる幸せは降り注ぎます。まずは、ご自身の現実が小さな幸せの積み重ねであったことに目を向けて、来年の参拝は、開口一番【ありがとう】から始めませんか?
この心が準備できていたら、どの神社さんにご挨拶に行っても大丈夫!
きっと、よく来たね♡って、あなたの感謝を神様たちが喜んで聞いてくれることでしょう♪
よいお年をお迎えください。来年も、よろしくお願いします‼︎
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