娘の小葉は2歳11ヶ月。
今月から幼児園の年少々に通いだしました。
懇談会での園長先生のお話では、この1年間は慣れること、参加すること、当たり前のことができることですとおっしゃっていました。
パパやママの知らないところで成長し、学び、楽しみ、喜ぶ……なんて想像しがたい世界です。
いつまでも傍に置いておきたいと思うのはパパのエゴなんですね。
しかし、親の意に反して、自分の世界を創造していく娘の姿を見ているととても頼もしく思います。
そして、人間関係の中でその学びを深めていってもらえたらいいなと思っています。
見守れるのかなぁ……とパパとママのほうが学ばされるかもしれません。
「それをしたら、こうなってしまうよ。」
「危ないから、止めといたほうが良いと思うよ。」
「それをして失敗したことがあるから、違うことしたほうが良いよ。」
「それはそういうものだからね。」
などなど、こういうものだ、こうだったという経験からの言葉、または自動的な思考で物事の可能性を奪っているところが僕にはあります。
ですから、人間関係の中において自動思考で物事を捉えることが僕には多々あるように思います。
あなたはどうでしょうか?
無視されたと思って、不機嫌になる人もいれば、この人は今、テンパっていて大変なんだと慈しむ人もいます。
嫌われたと思って、相手に弁解したり、好かれるために頑張ったりする人もいれば、相手の受け取るタイミングに寄り添って待つ人もいます。
攻撃されたと怒ったり、悔しがったり、対抗して迎撃姿勢に入る人もいれば、言動の向こう側にある相手の愛を求める叫びに氣づき、一時的に悪者になること、受け手になることを厭わない人もいます。
人間関係において、そうした自動思考は、それから学ぼうとすることによって僕たちの人生の学びを深めてくれるように思います。
自動的に踏襲してしまうパターンは過去生などからも影響があると多くのスピリチュアルカウンセリングを通じて感じています。
過去生での記憶が僕たちの思考・行動・感情に大きく影響しているというわけです。
娘の小葉を見ているとすでに人と関わる時にそのパターンがあることに氣づきます。
相手がどのような哀しみを持っているのかを見極めてから、相手を守りたい、力になりたいと思うようです。
それを単に消極的・お節介と決めつけて僕たち親が世間の価値観に沿わせるように彼女をミスリードしないようにしたいなと思っています。
「誰にでも気安く声をかけないの!」
「ほら、お友達が遊んでいるから交じって遊んでおいで!」
「どうしちゃったの? 急に甘えん坊になって?」
子どもたちの言動に過去生からの影響があるとにわかに信じがたいかもしれません。
しかし、そういう可能性を広げて子どもと接することができれば、視点や思考の広がりを感じることができるかもしれません。
そして、また、過去生での経験や思いを強化するために幼少期を過ごす子もいます。
両親の不和や離別など、難しい家庭環境を選ぶのも、今世での学びをより深いものにするためのひとつの手段なのですが、生まれてくる前の今世での計画を忘れてしまうあたり、人生とはうまく出来ていると僕自身を省みて思います。
それに氣づくと人生の意味をもっと感じられるようになるかもしれません。
そして、小葉が来てくれたおかげで、僕が今こうして生きていることの意味を一層深めてくれることにも氣づかされます。
過去でも何かしらのお互いに魂を磨きあったのかもしれません。
そのような視点を持って、子どもと接すると「その節はどうも……」と思うのでした。
あなたの今世での学びは何?
僕とどういう意味で引きあったの?
過去生ではどのような関係だったの?
そのような問いを持ちながら……
子育てという限りある時間を過ごしたいなと思います。
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