抱きしめる聖者・アンマが伝えるメッセージ「私たちは最高の愛へと進歩しつつあります」

「アンマ」と呼ばれるインドの聖者をご存じでしょうか?
その名の意味は“お母さん”。アンマは、会いに来た人を母のように抱きしめて祝福します。“ダルシャン”と呼ばれる抱擁は、訪れる人がいる限り続けられ、その間、アンマはご飯を食べることも、用を足すこともなく、ダルシャンを通してひたすら無私の奉仕を行います。活動は世界中で行われ、過去41年間で3,200万人以上の人々を抱きしめてきました。
2012年5月。アンマが22回目の来日を果たしました。私たち日本人へのメッセージをお話してくださった、宝珠の言霊をお伝えします。

~日本人が学ぶべき点は、相手や状況に合わせて、忍耐力と許す気持ちを育むこと~

『日本の人は、今、スピリチュアルなものへの渇望が高まり変容しています。自己中心的な関心事から少しずつ自由になっているのです。日本人だけではなくて世界中の人がそうでしょう。

人々の心は、以前は、離れ小島のようにバラバラな状態でしたが、今は少しずつ一つになって、一体感が生まれつつあります。人生や霊性や世の中に対する見方を語り、互いに理解し合おうとしています。

それぞれの人が自分の役割を果たそうとするべきなのです。
たとえば、とても汚れている湖があるとします。
一人ではその湖をきれいにすることはできないけれど、一人ひとりが「私はこの部分を掃除しよう」と思えば、その湖全体をきれいにすることが可能です。

そのように日本の皆さんが、自分たちのやり方を改善しようとする誠実な努力が見えます。
気づきが高まり、既に目覚めつつあります。

どんな愛でも、愛であることには違いありません。
けれども、私たちが日常生活において、どのように愛を使うかは、人によって違います。

たとえばペンがありますよね。そのペンを、誰かに感動を与えるような美しい絵を描くために使うこともできます。または誰かの精神を高めるような文章を書くためにも使えます。
一方で同じペンを良くないことを書くために使うこともできます。否定的な思いを人に抱かせる言葉を書くために使うこともあるでしょう。

私たちのお金も、破壊的な目的のために使うこともできれば、慈善的な目的のために、貧しい人に食べ物を食べさせるために使うこともできます。

愛にもさまざまな段階があります。
愛そのものは低い段階であれ、高い段階であれ、否定することはできません。
でも、私たちが今経験している愛を、次の段階の愛へのステップにするべきです。そうやって、ゆっくりと最高の愛へと登ってゆくべきなのです。

愛についての一番大きな問題は、状況に応じて対応できないときに生まれます。それは日本の人たちも学ぶべき点です。
状況や相手を理解して、それに応じた対応をするときにだけ、自分の中に忍耐や許す気持ちが生まれ、過去を水に流すこともできます。

今、私たちは互いの愛を乞うばかりですが、高いレベルの愛へ少しずつ進歩していくべきです。
例えば、水にはいろんな種類があります。下水もあれば、池の水、湖の水、川の水、きれいな飲み水もあります。純粋な愛は、清らかな水のようなものです。
相手の立場に立って気持ちを理解し、歩み寄り、譲り合うことです。
相手の気持ちを理解する心があれば、清らかな水になります。汚い水には病原菌がたくさん入っているでしょう? 利己的な愛には病原菌が混じっているということです。

純粋な愛は、清らかな飲み水のようなものです。純粋な愛は、エネルギーの中で最も純粋なものです。私たちが今経験している愛も、愛のひとつで、捨て去るべきものではありません。ただ、その愛を少しずつ至高の愛へと進歩させていくべきなのです』

取材協力:
NPO法人国際チャリティ協会アムリタハート http://www.amritaheart.org/