ココロセラピストが語る! 『人間の悪意』とは?〜性善説と性悪説

性善説と性悪説

性善説か性悪説か。
それは関係ありません。
どういうことかというと人間は千差万別です。

そして個人差もあります。
つまり人によって違うのではないかというのが僕の考えです。

生まれたばかりの赤ん坊は、それこそ何を考えているかわかりません。
本当は極悪非道でも大人にはわかりかせん。
というよりも善悪の価値基準もわかっていないので、善人か悪人かという本質がどちらだったにせよ、ある程度大きくならないことには何とも言えません。

それよりも対人関係においては誰かと出会ったときに、その都度相手の本質を見抜き接し方を変えるのが最善と言えるでしょう。

 

人は悪になる

先天的か後天的かは別として、人は誰しも悪に染まる可能性を秘めています。
だからこそ親や学校、地域や会社の教育が大切なのです。

その人がどういう人であれ、人間は環境の中で影響を受けて育っていきます。
だからどんな環境で生活してきたかで、その人が悪人になる可能性というものはゼロではないのです。

「私は君が善人だと信じている」と言ったところで、その人がとても善人ではいられない状況で生活を続けていたら何を言われたところで、善人でいられる保証などどこにもないのです。

テレビやマンガのヒーローは正義の味方という前提条件、つまり初期設定があるからこそいかなる場合でも善人でいられるわけです。
つまりフィクションの世界においては性善説設定さえ作っておけば、絶対的な善人がいても不思議ではないのです。

現実社会においてはどうでしょうか。
不遇の環境の中でも人は突発的に善人、あるいは正義の味方に目覚めるのでしょうか。
いいえ。そんな保証はどこにもありません。
むしろ、仮にそういった劣悪な環境にいたからこそ急に善に目覚める人はかなりレアな存在なのです。
ただ、その人生経験の中にメンターとなる人物に出会えれば別です。

問題はそこなのです。
人は誰と出会うかが重要です。
誰しもが程度の差はあれ善のスイッチと悪のスイッチがあると思います。
そのスイッチがいくつあるのかはわかりませんが、たくさん善のスイッチがオンになれば善人になるし、悪のスイッチがたくさん入れば悪人になるのです。

なにを言いたいのかというと、人はそのスイッチの切り替えで変貌する可能性もあるということです。
基本的には善人でも何かをきっかけに悪人になることがあります。

人が急に悪に目覚めたら「前から怪しいと思っていたんだよ!」とか「そんな人だとは思わなかった!」とかそんなふうに思うと思います。
しかし、本当に前から悪の片鱗が見え隠れしていたのであれば、悪の素質が何らかのきっかけで開花してしまったのでしょう。
仮に「そんな人ではなかった」のが本当だとしても、人は悪に染まる可能性を誰もが秘めているということを忘れてはなりません。

必ずしも悪人のすべてがあからさまに悪人の立ち振る舞いをし続けているかというと決してそうではないのです。
もしかしたら、数分前までは本当に善人だったかもしれないのです。

 

悪に染めないように

人はきっかけ次第で元が善人でも悪に染まります。
だから、その人の本質が根っからの悪で染まっている人は例外として、そうではない人はどうにでもなる可能性があるのです。

だから僕たちが心掛けることは二つあります。
自分自身が悪に染まらないように、善でいられるように心がけること。
他者に対しても善でいられるように接していくことが大切なのです。

人がなんらかのきっかけで悪に染まってしまう可能性があるということは、そのリスクさえ回避できればその人は悪人にはならずに済んだかもしれないのです。

たとえばイジメ被害者が、いつの間にか加害者に変貌を遂げるといったことが稀にあります。
善の立場では対処しきれなかったが、悪に染まってみることでイジメ被害者であることを止められた場合は、それが成功体験となり、生きる上では悪(加害者)の方が生きやすいと学習してしまったのです。