ココロセラピストが語る! 話せばわかる? ~話すから理解しあえるわけではないんだよ~

おしゃべりだいすき!

僕はおしゃべりが大好きです。
話の内容にもよりますが、話すのも聞くのも大好きです。

自分の意見を誰かに聞いてもらえるということは本当に嬉しいですし、喜びが込み上げてきます。
理解して貰ったり、共感して貰ったりしたら、嬉しくてスキップしたくなります。

話を聞くのもまた面白いです。
友達の話を聞くなんて最高に面白いです。

別に、刺激を求めているわけでもネタを求めているわけではありません。
たまに「なにか面白いことあった?」とか「なにか変わったことあった?」とか「なにか景気の良い話ない?」なんて言う人がいますが、そんなことは重要ではありません。

だって友達は自分ではないのですから。
違う人間が違う人生を歩んで生活しているのです。
たとえ同じものを見ていても違う解釈、感じ方をしていることだってたくさんあるのです。

『当たり前の日常』だって、僕にとっての当たり前と、自分以外の人の当たり前はまったく違うのです。
お金持ちの日常と貧乏人の日常は同じではありませんよね。
家庭円満な人と、機能不全家族の人の日常も同じではありません。
将来目指しているものだって、みんな違うのですから、それに向けてどう頑張って生きているかだってまったく違うのです。

自分と違った人間が自分と違った人生を歩み、自分と違った感想を持ち、場合によっては同じものを見て、同じものを食べて、同じ感想を持つかもしれません。
それらの話を聞けるというのは、それもまた僕にとっては刺激的というか、とても嬉しいのです。

おしゃべりではありませんが学校の授業も場合によっては聞く楽しさってありますよね。
勉強はそれほど好きではなかったけれど、やはり楽しいなと思えたのは先生のトークが面白いかどうかだったのかなという気もします。
新しい知識を得られる喜びは誰しもありますが、話がつまらないと一気に興味がなくなってしまいます。
しかし、話が上手な人が話すとグイグイその世界に引き込まれて行くのです。

21世紀になってくるとSNSが普及して来るので、双方向で自分の主張をしたり、相手の主張を読んだりできるので、これもまた楽しいです。

世界には数え切れないほどの人がいて、数え切れないほどの人生があって、数え切れないほどの情報があって、数え切れないほどの感動がある。

だから、誰かと話(やりとり)ができるというのは本当に素晴らしいことだと思います。

 

話せばわかる!?

「話せばわかる」という言葉があります。
これはおそらく僕たちみんなが小さい頃から耳にしてきた言葉ではないかと思います。

人は思い込みや先入観の影響で物事を判断しがちです。
差別や偏見なんてまさにそれですよね。

見た目が怖そうな人は、やはり怖そうなので近寄らない方が良いのかなと思ってしまいます。
でも、話をしたら実は良い人だったという経験も一度や二度はあったかもしれませんね。

また人は誤解します。
何らかの事情で感違いをしてしまうと、その間違った認識が前提条件に物事が進んでしまいます。
だから、誤解があるなら早いうちに解かないと、大問題になってしまうのです。

何かを勘違いしてしまって「アイツはなんて酷いヤツだ!」という認識になってしまって、誤解が解けないままだと、最悪、戦いになってしまう危険性すら出てきます。

だからこそ、話をするというのはとても大事なことです。
話をすることで、相手の立場や気持ち、情報などが整理されて、僕たちはきっと理解しあえる。
そう教わってきたと思います。

 

ストーカーの心理は不純とは限らない?

ストーカーという言葉があります。
おそらく現代では犯罪者や、迷惑極まりない人という印象が強いと思います。
僕も、そういうふうに認識しています。

でも、一昔前は、ちょっと解釈が違った気もします。
たとえば好きな異性がいたら何かしら接点が欲しいので個人情報をゲットしようと思うと思います。
これは今もそうだと思います。
でも、その情報の入手方法が今と昔ではだいぶ違います。

たとえば、昔だったら、相手の家までこっそりついていって自宅の場所を確認するということも、おそらくあったと思います。
大胆な個人情報入手方法です。
何かするわけではなくても、今だと変態扱いされてしまうかもしれません。
まちぶせなんかも、今だと悪質な行為ですよね。

とはいえ、時代が違えば運が良ければ「まぁ。わざわざ私の家を調べて追いかけてくるなんて、なんて情熱的でロマンチックな人なのでしょう!」と喜ばれたと思います。
もちろん、これは今もそうですが相手が自分のタイプだった場合に限るのかもしれませんが。