ココロセラピストが考える!「親子関係が人生を台無しにしている」とは?

私は幸せか、不幸か?

どうも自分の人生に対してネガティヴに考えてしまう。
そんなことは誰にでもあり得ることだと思います。

「そんなに生きてて辛いの?」と茶化したりする人もいるかもしれませんが、それは本人にしかわからない問題なので軽いジョークのつもりでもあまり言わない方が良いのかなと思います。

また「私は自分は常にラッキーでハッピーだと思っています。毎日ドキドキワクワクしていてとても充実しています!」という人もいると思います。それも、あながち嘘ではないかもしれません。
何らかの自己啓発書に書いてあったから、そう言っているだけかもしれませんし。もしくは躁状態なだけかもしれません。
それも個人差によるところが大きいと思います。

ただ、幸せか不幸かは他人が決めることではありません。

 

親が怖くてすべてが怖くなりました……。

自分の生き方がうまくいっていないと、トラウマを探しはじめたりするかもしれません。
そして、何処かで「もしかして私の不幸の原因は親なのではないか?」というポイントに辿りつく人も多いと思います。

自分でそう思う人もいるでしょうし、誰かにそう結論付けるように誘導されたひともいると思います。
そういう考え方も一部で流行っているのも事実だと思います。

確かに、その考え方にも一理あると思うのです。
たとえば、お父さん、あるいはお母さんが滅茶苦茶怖い人で、何をしてもすぐに怒鳴りつけて来る人、あるいは殴りかかって来る人だったら間違いなく怖いと思います。
しつけというよりは、親の感情の起伏に振り回されて酷い目にあわされているという人もたくさんいると思います。

親に悪意があろうとなかろうと、幼少期に植えつけられた恐怖はそんなに簡単には消えませんし、言えません。

親に嫌われたら生きていけません。
だから親視点から見た『悪い子』になっては絶対にいけないのです。
親というものは誰よりも子供の幸せを願っているのだから、納得いかなくても、きっと親の言っている事が正しいに違いないと思い込んでしまうのです。

『良い子』の定義はいまいちわからないけれど、親を怒らせず満足させられるように断ち振る舞えはきっと自分は幸せになれるのだと信じて。

それはそうとずっと親に怯えて暮らして来てしまったせいで、親だけではなく社会全体、あるいは人間全体を恐れるべき警戒対象と思い込んでしまうこともあると思います。

そうすると、友達だろうと学校の先生だろうと、上司だろうと、とにかく人が怖くてたまらなくなります。
表面的には、特に生活に支障がないように振る舞えていると自分で思っていても、何かがおかしい。
みんながみんな恐ろしい存在であるはずもなく、みんながみんな自分を悪く思っていたり、何かしかけてきたりするわけではありません。
頭ではきちんとわかっているのに、ついつい警戒心が強まってしまうのです。
だから、平静を装っていても、いつも心は怯えているのです。

 

『優等生』のパターン

そうすると、親だろうと誰だろうと、結論として怖いので『ご機嫌取り』になってしまう。
だから、気がつくと『優等生』になっていたという人も少なくないのではないでしょうか。
とりあえず、直接言われたわけではないけれど、親に認めて貰いたいし、学校の成績をアップして、あとは顔色を伺おうと。

『優等生』といえば一般的には羨ましい立場です。
勉強もできるし、大人のいうことをちゃんと聞くから、学校の先生にも気に入られますし、高く評価されます。
それなりに名のある高校や大学にも行けるかもしれません。

どちらかといえば羨ましがられる立場であるはずなのに、何故か幸せを感じない。
本音が言えないからです。
もしも、自分の意見が相手の意見と違っていることが悟られたら、頭ごなしに怒鳴りつけられるかもしれませんし、陰口を叩かれるかもしれません。最悪、人格否定をされるかもしれません。だから、常に相手の期待にこたえるためだけに努力をし、苦労をし、自分の意見や気持ちにフタをしつづけて来たのです。

努力に無理が出て疲れてきても、周囲に望まれた人物像を演じ続けなければ自分という存在を否定されてしまうという恐怖は、自分の心と身体を決して休ませてはくれないのです。

「きっと、私の気合いと根性が足りないんだ……。私は悪い子なのかもしれない……」と。