ココロセラピストが考える! 『ぼっち』VS『つるみさん』 ~ 問題があるのはどっち? ~

職場のお昼休みに「ひとりで食事をしたい」と正直に話したら「私のことを避けてるんですか!」と本気で激怒する人が本当にいるようです。

『ぼっち』とは?

『ぼっち』という言葉をどう思いますか。
友達がいない悲しい人と思うでしょうか。
それとも一匹狼を気取っている人だと思うでしょうか。

あるいはコミュニケーションに何らかの問題や障害があって人間を避けている人と思うのでしょうか。

『ぼっち』という言葉はおそらく『ひとりぼっち』の短縮系です。
その語源から考えると、きっとネガティヴな意味合いが強い言葉なのでしょう。

ただ、なんでもなんでもひとりでいることを悪い意味で解釈するのはどうかと思うのです。
ひとりでいることはそんなに悪いことではないと思えてならないのです。

 

『つるみさん』と『仲良し幻想』

僕の考えた造語の話をします。

それは『つるみさん』です。
どういう意味かというと、ネガティヴな意味合いで、いつも誰かと一緒でなければ落ち着かない人たちの総称のことです。

『ぼっち』ばかりが否定的に解釈されますが、それは『つるみさん』も同じことです。
どうも私たちは『仲良し幻想』にとりつかれている気がするのです。
ちなみに『仲良し』と『つるみさん』は似ていますがまったく意味合いが違います。

もちろん仲が良いことは素晴らしいことです。
みんなが仲良しならば喧嘩も戦争もおきません。
離婚もありませんし、少子高齢化問題も起きないと思います。
みんなで信頼し合って、支え合って、話し合って、助け合って、あらゆる問題を解決していくことでしょう。

しかしそれは理想であり目指すべき指針なのです。
それが100%完璧という状態は絶対ではありませんが幻想なのです。

考えてみて下さい。
「みんな仲良し」という状態は「みんなが同じ考え」という意味ではありません。
では多数決が正しいかというと決してそうではありません。
少数意見の尊重も大事なのです。
「ひとりひとりの人権を、個性を、考えを、思いを尊重しあえる状態」こそが本当の仲良し状態案のです。
しかし、裏を返せば、個人を尊重すると摩擦や衝突が起こるということなのです。
これは見落としてしまいがちですが大きな矛盾点であり問題点なのです。

 

『ぼっち』VS『つるみさん』

僕たちは、ついつい誰かとつるんでいる状態をカッコ良いと思い込んでしまう節があります。
おそらく、誰かと一緒にいることで「私はひとりだけ違った言動をしているわけではないよね……」とか「俺だけ浮いてるってことはないよな?」とか「ワシはもしかして嫌われてたりせんじゃろうか?」とか不安な心理が少なからずあるのだと思います。
その不安を打ち消すために無意識的に誰かとつるみたいと思っている可能性も否定できません。

意気投合した人たち同士がいつも一緒にいてコミュニケーションが円滑で人生の質が上がるのであれば、それは僕としても羨ましいですし憧れます。
でも、現実の人間関係のほとんどが義理だったり、見張り合いだったり、集団欲求を満たすためだったりしませんか。