ココロセラピストが考える!『コミュ障害』とは? ~安心して下さい。コミュ力が優れている人がスゴイだけです~

もし、コミュニケーションそのものについて改善したいとか、自分の性格に問題があるのではないかと思うのであれば、信頼できる専門家に相談してみるのが一番です。

レッテル貼りを流行らせてない?

現代は何でもかんでも病名やレッテルを貼るのが流行っている気がします。最近特に感じるのが『コミュ障』という言葉。コミュニケーション障害の略語だというのは見てわかります。障害という言葉が入っているので医学用語なのかなということもわかります。

でも、俗語として独り歩きしてしまった『コミュ障』は医学の枠を超えてしまっていますよね。単に「人づきあいが苦手」な人を指します。雑談が苦手な人もコミュ障。知らない人と話すのが苦手な人もコミュ障。でも、これって変だと思いませんか。

 

コミュニケーション能力ってみんな高くて当たり前かな?

僕の思う日本人的解釈をすると「みんなそうじゃないの?」という気がするのです。知らない人に気軽に「HI!」といって話しかけたり、通りがかりの異性にウィンクしたり、そういうフレンドリーかつオープンな人っていないじゃないですか。握手を求めても露骨に嫌がる人って多いですよね。ハグなんてしてる人、僕は未だかつて見た事がありません。
「話をする時は人の目を見て……」と言いますが、見つめ合って話をしている人も初々しいカップルくらいしかたぶんやらないと思うのです。

それが良いか悪いかは、僕は知りません。ただ、何処かで相手の顔色を伺いつつ、様子観察しつつ、空気を読んで、無駄な争いにならないように配慮して……という、ステレオタイプが必ずしも僕は障害とは思えないのです。

人と接する時に、ドキドキして緊張してしまったり、何を放して良いかわからなくなったり、目を合わせるのが苦手だったり、そういうのって少数ではないと思うのです。

逆に、やたらフレンドリーでハイテンションな人に対してコミュニケーション能力が高いと思うかというと、それも一概には言えないですよね。場合によっては空気が読めていないと思われますし、最悪『双極性障害(躁病)』を疑われる危険性だってありますよね。もちろん安易に病名を付けてはダメですが。

 

昔のオジサンはみんなコミュ障?

昔のオジサンが奥さんに「飯、風呂、寝る」しか言わなかったであろう時代も、語彙が少なく表現力は乏しくても、それは障害ではないと思うのです。みんながみんな以心伝心とはいなかいことくらい、誰だってわかっています。どうやってコミュニケーションをとって良いかわからないながらも、みんなそれぞれ、少なからず円滑なコミュニケーション方法を模索していたのだと思うのです。

 

警戒するのは悪い事?

「出来上がった集団の中に入るのが苦手なんです」という方も多いですが、それも障害じゃないと思います。だって、出来あがってしまっているから入りづらいのです。「私の入る余地ってあるのかな?」って思っても不思議でもなんでもありません。間違って仕切り屋のいるグループに入ってしまったらどうしようとか、別の集団と対立している派閥だったらどうしようとか、入ったら抜けられないグループだったらどうしようとか、我が子自慢だけしか話題に選ばない人たちだったらどうしようとか、新しい仲間は求めていない集団だったらどうしようとか、誰しもが悩むと思うのです。
相手の出方を伺ったり、そういう心理って本能だと思うのです。無防備と協調性や社交性は別問題です。