いったい誰に話しかけているの?~テレビに向かって叫ぶおじさんたち~

テレビに叫ぶ。 最近では見られない昭和の名残のような謎文化。

ニュース番組を見るたびに興奮するおじさん

さて。それはそれとして。ネガティヴなニュースを見るたびにキレるおじさんっていますよね。

例えば、何らかの事件についてのニュースが流れていたら「バカじゃないのか!」と急に叫びだしたり。「自業自得なんだよ!」とか「ざまあ見ろ!」とか。とにかく、目を充血させ眉間にしわを寄せ、肩を小刻みに震わせ叫ぶのです。

我が家の話というわけじゃなくて、どうもそれ系のおじさんが日本各地にチラホラといるようなのです。
おばさんもいると思いますが……。

でも、よくよく考えてみると僕も昔はネガティヴなニュースを見るたびに、テレビに向かって反応していた気がします。
流石に叫んだりはしませんが「情けないな……」とか、ネガティヴな感想をボソボソと呟いていたかもしれません。

スポーツ観戦とかであれば、なんとなくテレビに向かって叫ぶ気持ちもわかるのです。
あれはテレビという媒体を通してはいますが、気分は客席でビール片手に声援をあげている気分になっている(と思われる)からです。

でも、自分の勤務先でも何でもない会社が傾いた事件で「あの経営者は無能なんだよ!」と激怒するのは、ちょっと複雑な心理というか、わかりづらいですよね。

なんというか、本当は自分が会社で納得いかない事があって、でも言えなくて耐えていて、そのストレスを全く関係無いニュースに投影してキレているのかな……とか勘ぐりたくなってしまいます。
自分の会社や上司を無能呼ばわれしたら大問題ですが、自分と無関係の会社をテレビの前でバッシングするなら怒られる事も無いですから。

 

正義を振りかざす人たち

もしかしたら昔からいたのかもしれませんが、最近は『正義を振りかざす人たち』が増えたとか、そんな噂も耳にするようになりました。

本当に正義なら良いのですが、この正義というものは実はややこしいものなのです。
人の数だけ正義はありますし、時代や場所によっても変わって来るからです。

そして、これもまたややこしいのですが、『正義を振りかざす人たち』の中には『クレーマー』も何割か紛れこんでいる可能性があります。

どういうことかというと、もっともらしいことを言って相手を言い負かす事が楽しいのです。
「ほら見ろ。俺は正しかったじゃないか!」みたいな。自己評価の低い人たちはQOLが低いので、なんとかその自尊心を満たそうとします。
その結果『正義』という言葉が便利な物で悪用(?)出来てしまうのです。

本来ならば裁くまでも無いような小さな出来事に対して、正義の鉄拳を食らわせたくなるのです。
そうすることで自分の上位性が保たれるからです。
つまり他者を悪者(下位存在)に設定することで、自分のアイデンティティを強引に高めようとしているのです。

だから、クレーマーの話を聞いていると「本当は何に対して怒っているのだろう?」と奇妙な感想が浮かび上がって来てしまうのです。
だって怒りの本質が理解できれば、謝罪するなり改善するなり出来る可能性が高まります。
クレーマーは、とにかく怒りを吐き出す事を目的としていて、実は言っている内容そのものは大した問題では無いこともしばしばあります。
でも彼らにしてみれば「我こそが正義!」なのです。

テレビにいちいち反応してキレているおじさんは、どうも社会情勢を本気で嘆いているとか、経営危機の会社を心配しているとか、そういうことでは無くて、別の抑圧された何かに対してキレているように感じてならないのです。

これもまた意識したわけでは無いのですが、僕がテレビのニュースに対して逐一意見しなくなって客観性を持てるようになって来たのも、自分自身の心に意識を向けるようになってからのような気がします。

「僕は自分の心と向き合ってるから偉いんだよ」ということではなくて、自分の心の状態をきちんと把握していると、自分の外との関係を冷静に客観視できるようになるという話です。
そもそもテレビに怒鳴りつけたって無意味でしょう。