ココロセラピストが語る!『踊らされないで生きる』とは? ~『○活』という洗脳~

『婚活=結婚しなければならない』、『終活=財産分与を考え、遺言を書き、葬儀やお墓の手配、遺品整理をしなければならない』。 ちょっと冷静に考えてみましょう。どちらも義務、あるいは当然とばかりに言葉が独り歩きしているように思うかもしれませんが、裏に誰か仕掛け人がいる気がしませんか。

●終活●

人間は基本的に死を恐れます。
僕も怖いです。
できれば考えたくありません。
そして、僕たちは何処かで死をタブー視している節もあります。

これもどうも僕にはしっくりこないのです。
老年期に入って自分自身の人生を総括するのは良い事だと思うのですが、「ほら。あなた、もうすぐ死ぬんですよ。死ぬ準備しませんか?」という感じが好きになれないのです。

厳密に言えば、人間は……いえ、生命体は生まれた瞬間から長いスパンで死の準備をしているのです。
人間はいつ寿命が尽きるかわかりません。
死を前提に「早めに準備しましょう」って変じゃないですか。
悪く言えば準備が一段落ついたら、いつ死んでも良いという事みたいに感じませんか。
だからこそ、毎日、後悔しないように懸命に生きているのではありませんか。
一日一日を大切に。
自分を成長させ、他人を思い遣る。
そして、明日という日を今日よりも良い日にするために試行錯誤を繰り返す。
これが人生ではありませんか。

相続税が高すぎるとか、葬儀の手配に子供たちが学校や仕事を休ませて申し訳ないとか、いろいろあると思いますが、それはあなたが悪いわけではありません。

そもそも、何にでも税金をかけて国民からお金を吸い上げようとする人がいるから、なんとか子供たちにお金を残してあげようと楽しい老後に自分が死んだ後のお金の心配をしなければならないのです。

もし「喪中だからって、何日も休まれると困るのよね~」なんて言う人が職場にいたら、その方が問題です。
終活以前に、その人の人生の質(QOL)が低すぎます。
大事な人生の節目です。
遊び呆けて他人に迷惑をかけているわけではないのです。
迷惑でも何でもなく当然の権利なのですから堂々と休んで良いのです。
そして、きちんと喪に服して、しっかりと悲しんで良いのです。

「寿命が尽きる=迷惑をかける」なんて、悲しすぎます。
それなら最初から生まれて来ない方が良いという話ですよね。
「だったら、そもそも『婚活』ってなんだよ、『妊活』ってなんだよ。迷惑の種を植え付けているだけじゃないか!」という事になってしまいます。
大きな矛盾です。

死んだ後の迷惑を考えながら余生を過ごすなんて勿体ないです。
それよりも、安心して生きて、安心して天命を全うし、新しい命の誕生を喜び、誰かの寿命が尽きたら敬意を込めて見送る。
これが自然ではないかと思うのです。

死んだ後の不安に付きまとわれながら終活するよりも、いつ何らかの事情で寿命が尽きても、誰も文句を言わず暖かく感謝の気持ちを持って見送り、見送られる社会を作る事に人生を使った方が有意義だと思いませんか。

「病気になって死ぬ……」という前提では無くて、「元気で人生を全うする!」という意識にシフトチェンジした方が僕は健全だと思うのです。「うわー! 気がついたら寿命が尽きていたよ。いやぁ、楽しい人生だったなー……」で、良いと思うのです。

 

『○活』の中で一番大切なもの

そんなわけで、捻くれ者の僕は『○活』に悪意を感じるのです。
ある時はプロバガンダを感じ、ある時はビジネスとしての仕掛けを感じるのです。
誰かの手によって、よくわからないレールを敷かれている気がしてならないのです。
踊らされてたまるかと思うのです。

もしかしたら、本当は僕が思っているような意図は無くて純粋な崇高な意図があるのかもしれません。
それでも、流行(語?)に流されず、その『○活』という言葉の裏には何が隠されているのかを時々考えて見るのも良いのかなと思います。

……と、いいつつも、僕は1つだけ重要視している『○活』があります。
純粋な気持ちで、これはあなたにも重要だと認識して貰いたいのです。

それは『生活』です。
生きるための活動です。

胡散臭い見えない誰かに操られるのではなく、自分の目で、自分の耳で、自分の肌で、自分の知識や経験で、自分の直感で、人生の質、生活の質(QOL)を高めて下さい。

 

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