ココロセラピストが語る!『踊らされないで生きる』とは? ~『○活』という洗脳~

『婚活=結婚しなければならない』、『終活=財産分与を考え、遺言を書き、葬儀やお墓の手配、遺品整理をしなければならない』。 ちょっと冷静に考えてみましょう。どちらも義務、あるいは当然とばかりに言葉が独り歩きしているように思うかもしれませんが、裏に誰か仕掛け人がいる気がしませんか。
ココロセラピストが語る!『踊らされないで生きる』とは? ~『○活』という洗脳~

『○活』に踊らされている僕たち

前からずっと思っていた事があります。
『○活』という言葉に僕たちは踊らされ過ぎていないだろうかと。

最近では『婚活』、『終活』などと言った具合に新しい『○活』が増えている気がします。
いつの間にか定着した『○活』という言葉。
何故か僕の心にはモヤモヤした何かが引っ掛かっていました。

そもそも『○活』とは、何なのでしょうか。
文字から考えると「○○活動」の略だという事はわかります。
「婚活=結婚するための活動」、「終活=死の準備をする活動」。

もちろん何かの活動をする事は決して悪いことではありません。
人間は自由であるべきですので本人が望めばいろいろな活動にチャレンジするのはとても良い事だと思います。
しかし、モヤモヤの原因でもあるのですが『○活』という言葉で『活化』(?)されてしまうと、半強制的な無言の圧力を感じる気がしてならないのです。

「○○しなさい」、「○○しないと時代に取り残されるよ」と言った裏のメッセージのような不気味な何かを。
あなたは『○活』そんなモヤモヤ感や不気味な何かを感じた事はありませんか?

 

昔からある『○活』を思い出してみる

『○活』という言葉は、厳密に言えば最近の言葉ではありません。
昔から存在していました。たとえば『部活』や『就活』という言葉。
当たり前のように学校の先生たちが好んで使うこの言葉もよくよく考えると、やっぱり半強制的な無言の圧力を感じるのです。

●部活●

たとえば『部活』。
最近では教師の人たちの間でも問題視されていますよね。
そもそも部活の顧問なんてなりたくない先生たちだってたくさんいると思うのですが、学校という閉鎖的な社会ではそんな事はお構いなしです。
先生になったら半強制的に部活の顧問にされてしまうという洗礼を受けます。
しかも、多分ですがサービス残業やサービス出勤的な仕事も多いと思われます。
この忌まわしき文化が今になってようやく見直されつつあるようです。

一方で、生徒たちにしても不気味さはあります。
やりたい部活がその学校にあれば良いですが、必ずしも入学先にやりたい部活があるとは限りません。
でも、何となく部活って「入らなければならない」という暗黙ルールがあったりしませんか。

もちろん入らなくても問題ありませんし、そもそも部活は任意のはずです。
でも、何処かしら入部しないと『帰宅部』という隠語で呼ばれて差別対象にされてしまいます。
それこそ今でも就活の際、一部の会社では「体育会系の部活出身者が有利」という都市伝説も未だに根強く残っている気がします。
確かに都市伝説ではありますが「だから部活はやっておいた方が良いんだよ」という無言の圧力がここにもチラホラと見え隠れするわけです。

さらに不思議な事に、この部活という活動。
あまり気にした事はないかもしれませんが、ある共通点があります。
それは、活動目的が「何かしらの大会に参加し、優勝を目指す事。
あるいは賞を取る事」です。

それの何が悪いのかと言われそうですが、それって「競争社会で生きて行くための訓練」とでも言えば良いのか、そういう思想めいた何かを感じずにはいられません。
体育会系にしても文科系にしても、「競わない」「戦わない」という選択肢が部活には無い気がするのです。
別に僕は競う事や戦う事が間違っていると言いたいわけではありません。
自己研鑽し、活動を通して自分のスキルを向上させていくのは立派な事だと思います。
ただ「それを目指さない選択肢」というものがあっても良いのにと思うのです。

緩く活動したい。そういう人だってたくさんいると思うのです。
気合と根性で仲間と共に前進なるのみ的な活動をするのが好きな人もいれば、仲間と楽しく、負担にならない程度に楽しみたい人もいると思うのです。

大学生になれば部活という活動以外にもサークルというものがありますし、学校非公認サークルを作って活動している人たちも多いと思います。
ただ何故かそれが義務教育ではあまり見られないのが不思議なのです。

部活が好きな人はまったく問題無いのです。
それで彼らの人生の質(QOL)が向上するなら、どんどん情熱を注ぎ、青春を楽しんで欲しいのです。