ココロセラピストが考える!『良い人=好かれる』は本当か?—ジブンとアナタの温度差が関係の幅を変化させている—

人間関係の良し悪しは人数ではありません。 波長があり、良い意味でご縁が深まって行く人を大切にしてあげて下さい。

私、自分ではかなり良い人だと思うんだけど……?

自分では自己評価を『良い人』と思っている。
けれど、現実は何故かカリスマになれるわけでもなく、どちらかと言えば他人から相手にして貰えていない気がする。
もしかして、そんな心当たりのある方、いらっしゃらないでしょうか。

確かに欲を言えばカリスマになれたら嬉しいし、いつでも誰かに尊敬されたい。
あわよくばチヤホヤされたい。
それが人間というものだと思います。本音を隠さずに明かしてしまえば僕もそうです。
ちなみに、それは悪い事ではありません。

人が人と関わりたい。
人が人と触れあいたい。人が人と何かをしたい。
これは当然なのです。
だって、人間だから。
一人では生きていけない動物だから。

でも、無条件でカリスマになれるなんて思っていなくて、無条件で尊敬されるなんてまずあり得ないし。
それに、人に好かれるためにはまず『良い人』でいることが前提。
だから頑張らなくては。そう思っている人も多いと思います。

 

良い人幻想(ファンタジー)?

そもそもコミュニケーションの極意は良い人になる事でも何でもないのですが、僕たちの多くは『良い人幻想』に縛られている気がするのです。
でも、何処かで、そんな話を聞いた事があるような気がするという人もいますよね。

もしかしたら『返報性の法則』という言葉の独り歩きかもしれません。
心理学も流行っていますしね。
これは、「人に何か物やサービスを貰ったら、お返しをしたくなる」というものです。
悪く言えば小さな恩を与えて、大きな見返りを得ようとする人たちが好むテクニックでもあります。

あるいは『好意の返報性』という言葉を耳にした事があるのではないでしょうか。
恋バナが好きな方は、恋愛のテクニックとしてこの言葉に触れたかもしれません。
ちなみに、どういう意味かというと「自分から好意を示すと、好意が返って来るよ」というものです。

これらの法則性から考えれば、確かに『良い人』は人に好かれそうな気もします。
でも、必ずしも真に受けて良いかというと少々疑問も残るわけです。

 

良い人ってどんな人?

ここで考えて欲しいのが『良い人』の定義です。
これって何なのでしょうか。

実はここが重要なのです。

仮に『良い人』が他人から好かれるとしましょう。
だとしたら『良い人』の本質から逸れてしまうと、他人から好かれるどころか嫌われてしまう危険性も秘めているのです。

これはあくまでも僕の考える『良い人』についてです。
率直に申しますと、本人と受け手の解釈によるのかなと思うのです。
これは他の事にも当てはまるのですが、物事の認識って実は本人の受け取り方次第であることが殆どだと思うのです。

たとえば、道端で転んで泣いている子供がいたとします。
『良い人』は、どういう行動を取るでしょうか。

僕なら、そっと手を差し伸べて怪我の有無を確認してあげる人が良い人だと思います。
さらに「怪我が無くて良かったね。さぁ、引き続き遊んでおいで」といった気のきいた言葉をつけてあげられればさらにレベルが高いと思います。

でも、そういうときっと目くじらを立てて反論する人もいると思います。
彼らは、子供が転んだ事は同情するけれど、そこで手を貸してしまう事で甘ったれた子供に育ってしまう。
自分で立ちあがるまで心を鬼にして見守ってあげることこそが優しさだと主張する人もいると思います。

非常に難しい問題ですが、どちらも正解なのです。

もしいつでも何処でも誰かが必ず助けてくれ続けたら依存的な人間に育ってしまうかもしれません。
それは、何としても食い止めたいところです。

しかし、何でも自分(だけ)で解決しなければならないと思い込んでしまった人たちは、自分独りでは抱えきれない問題に直面した時に、助けを求める事が出来ず自滅してしまうリスクもあります。
そして他人に対しても無関心になってしまうリスクもあります。