ココロセラピストが語る!『ムダ』とは?~そもそもムダは本当にムダ?~

僕たちはお金も時間も大切です。人生と言う時間を如何に有意義に使うかこそ、人生最大の問題かもしれません。

8月になると……。

まったくもって個人的な話ですが、僕は8月になるとムーミンの事を思い出します。というのも、8月9日が『ムーミンの日』だからです。
ちなみに、この日は毎年イベント(ムーミンの日のつどい)があり、お団子頭で会場に行くと、なんと! リトル・ミイの『お団子あたま証明書』なるものが貰えるのです。

これ欲しさに、特大のお団子(装着型の小道具を作って貰った)を装着し、恥ずかしげも無くイベントに参加した事もあります。男性で、お団子頭(しかも特注?)の人は稀みたいで、周囲からは熱い視線とクスクスという笑い声がありました。人生で、ここまで誰かに注目された(そして笑われた)事はおそらくないと思います。取材の人に写真を撮っても良いかと言われ、快諾したのですが、その間もカメラマンの方はずっと笑いをこらえていたのが印象的でした。ちなみに、その写真、ネタとしては面白いですがムーミンのイメージを壊してしまうからか、ボツになったようです……。
でも、無事に名誉ある証明書は貰えましたし、ウケ狙いがしたかったわけでもなんでもないので万事OKです。

 

ジャコウネズミ?

あまり有名ではありませんが、ムーミン・キャラクターの中に、ジャコウネズミという人物がいます。アニメ版(旧作?)に度々登場して「無駄じゃ、無駄じゃ……」ばかり言う偏屈なオジサン。愛読書は『すべてがむだである事について』。そんな本を読む事自体がムダなのではないかと言うツッコミを入れたくなるところがまた面白いです。実際にそんな人が周囲にいたら、友達としてはあまり関わりたくないタイプですね。さっきから、マニアックな話ばかりですみません。

 

ムダの無い進歩した時代?

時代は進み、科学が発展しても、人間の心は本当に豊かになったと言えるでしょうか。

交通機関が発達して、短時間で何処にでも行けるようになって本当に便利になったのでしょうか。
何処へでも行ける代わりに、行きたくもない場所に行かされる事も増えた、ということはありませんか。遠くにばかり意識が言って地元の事を知らなさすぎると言う事はありませんか。
電車や車に乗ればスピーディに遠くに行けますが、ゆっくりと景色を眺める時間は減ったのではありませんか。空の色、空気、四季折々の植物、土の感触、思い出せますか。

通信技術も発達し、ケータイ電話やスマホがあるから、何時でも何処でも、人と連絡が取れます。そのせいで、何時でも何処でも、スマホに意識を奪われ、移動中も、食事中も、TPOを完全に奪われている若者、いや、中高年も増えてしまったのではありませんか。
せっかくの休日に下らない内容で仕事の電話がかかって来たりしてうんざりした事は無いでしょうか。「ケータイを持っているのに、直ぐに返事をしないとはどういう事だ!」と、無茶苦茶な理屈で喧嘩を売られた事はありませんか。

『ぼっち』という言葉が流行っていますが、本当の意味で一人の時間をきちんと確保できていますか。単独行動しているようで、実は常に誰かに監視されていたり、管理されていたり、他人の言動が気になったりして余計な連絡をしてしまったりしていませんか。

ファミレスやファーストフードが発達したから、何時でも何処でも同じ味を堪能できるようになりました。では、お母さんの作ってくれた食事(レトルト以外)の味を思い出せますか。季節ごとの旬の食材を瞬時に思い浮かべられますか。

夜は暗くなれば電気で明るいです。夜に明かりがあれば活動が出来るので便利です。しかし、本来、寝ていても良い時間に何かをしなければならない事も増えていませんでしょうか。
たとえば仕事を探していて「夜勤月3~4回必須」とかあったら、内心イヤだなと思ったりしないでしょうか。夜型人間ならば、夜勤は良いですが、そうではない人にとっては家でのんびりしている時間か寝ている大事な時間なのです。

よく役所やお店などに遅い時間まで営業して欲しいと言う人がいます。気持ちはわかるのですが実はこのセリフの裏には矛盾があるのです。

そもそも遅くまで役所やお店がやっていて欲しいというのは、早い時間は自分も仕事をしているから忙しく時間が確保できないという事です。
では、逆の立場だったらどうでしょう。あなたの業種が何であれ、お客さんの要望で「もっと遅くまで営業してくれないと困るんだけど?」なんて言われたらどうでしょうか。「自分主体で相手の気持ちを考えず一方的に営業時間を長くして欲しいなんて言語道断!」と思わないでしょうか。
シフトを複雑化され一日の生活リズムを滅茶苦茶にされたらたまったものではありません。でも、人間と言うのは僕も含めて自分を最優先に考えてしまう習性でもあるのか、自分の事は右か左に置いておいて、他の人には無理難題を押し付けてしまうわけです。

ちなみに、僕は上記の例を悪と言っているわけでも間違っていると言っているわけでもありません。僕は車にとても感謝しています。僕は田舎に住んでいるので、移動手段は車がメインです。車が無かったら、それこそ何もできなくなってしまいます。

僕は未だスマホを持っていませんが、それでもケータイは常備しています。特に、誰かと待ち合わせをした時などは連絡が取れると本当に便利です。ファミレスやファーストフードもありがたいです。食べ物が手に入るから、という点もありますが、何と言っても冷暖房が完備されているところが素晴らしいです。夏の暑さでフラフラしているときに、小休止できるお店があったらやはり助かります。僕は夜は自宅でのんびりしたい派ではありますが、時には夜に外に出て用事を済ませたいコトだって当然あります。そんな時、街中の電気が消え、お店が何処もあいていなかったらと思うと流石に不便を感じます。いろいろ考えると、やっぱり便利なのです。

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必要だから生まれる?

便利とムダは紙一重だなと思う今日この頃です。
便利が必ずしも便利とは限らず、ムダが必ずしもムダではない。

世の中にあるモノの多くは、元々は必要性があるから生まれて来たモノが殆どだと思います。中には軍事的理由で誕生した道具が一般人に良い方向で活躍されているというモノもありますが…。
僕たちが不便に感じている事柄を解決したり、今までできなかった事が出来るようになったりしたら、幸せになれる。みんながそう思っているからこそ、時代は進んでいくのだと思います。