ココロセラピストが語る!『心と人生の質(QOL)』とは?

目には見えない心の問題。心豊かでありたいとは思っていても、乗り越えなければいけ ない壁は次から次へ……。本当に切実な問題なのです。

 

依存症?

スマホにしてもタバコにしても依存性があるので、本当に自制心が必要です。お酒やギャンブルも依存性があります。どれも度を超すと、迷惑行為になります。

これも、大した問題ではないように思うかもしれませんが、心に問題があると言えるでしょう。依存症の方々は自覚の有無は別としても「お酒でも飲んでなきゃ、やってられないわ! 」と言った具合に、何らかの心理的影響があると言えるかもしれません。

心に『ゆとり』を持っていれば、スマホだろうとタバコだろうと、お酒だろうとギャンブルだろうと、たしなんでも依存症にはなりません。自制心を失うほど知力や思考が低下するほど心に負荷がかかっていると依存症になりやすいのではないかと思います。(※依存性物質が含まれているものは精神的な問題だけでは解決できない場合もあるので最初から関与しないことが重要です)

 

病名の付かない心の問題の対策!

うつ病や統合失調症、あるいはアスペルガー症候群あたりの方はお辛いとは思いますが、比較的対処しやすいかもしれません。「どうすれば良いかわからないけど、改善できたら良いなって思うからカウンセリングやセラピーを受けてみようかな……」という道筋が見えてくるからです。それらを利用することで、自分自身の現状を再確認し、対策を練ることが出来ます。自分で気づかなくても、周囲の人が異変に気づいたらカウンセリングを勧めてくれるかもしれません。

一方、マナー違反の常習者は対策が困難です。マナー違反が習慣化している時点で他人に嫌われます。嫌われると相手にされなくなりますし、場合によっては邪険に扱われます。人によってはその状況が理解されず「私は迫害を受けている! 」と被害妄想に繋がってしまう方も残念ながらいらっしゃいます。

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マナーの知識だけで解決できるのであれば誰かが教えれば済むのですが、ストレスが慢性化、もしくは重度化した結果、『ゆとり』が持てなくなり、他者に対する思いやりを考える余地が無く迷惑行為をしてしまっている場合が厄介なのです。

最近、『嫌われる勇気』という言葉が流行っています。アドラー心理学ですね。「嫌われても良いじゃないか!」というのはその通りだと思います。僕も同感です。

ただ、万一「私、迫害されてる?」というような考えが浮かんできたら、一旦冷静に立ち止まって見ることが大切です。歩きスマホを注意されたにも拘らず「いちいちウルサイわね!」とキレてしまったとか、タバコが苦手な人が「マナーを守って下さい」と言ったら「自分がタバコを嫌いだからって、邪悪な存在のように言わなくたって良いじゃない!人それぞれでしょ!」なんて言っていませんか。

そしたら、嫌われて当たり前です。人の話をきちんと聞けていない時点でアウトです。開き直って嫌われていても良いですが、「そんなことで嫌われるならやめよう……」と思える人は『嫌われない選択肢』もあると思います。これは決して媚びるとか、そういう事ではありません。自分を客観的に受け止める事で別の可能性が見えてくるという話です。相手の言い分を聞いて、考えてみようという心の『ゆとり』が未来をプラスの方向性に変える可能性を高めるのです。スマホやタバコが問題なのではありません。心の『ゆとり』の有無が大事なのです。

これは僕自身にも言える事です。僕はタバコが心の底から苦手です。だからと言って、僕自身が被害者意識を強く持ち過ぎて『ゆとり』がなくなってしまったら、それこそ心と心の交流が出来なくなってしまいます。「喫煙者って迷惑だよね!」とでも言ったら喫煙者からすれば差別や迫害されたと解釈されてしまいます。「マナーも守れないの?」も同義です。確かに迷惑は迷惑ですし、マナーを知らないなら知って欲しいです。ただ、正論をぶつけても意味は無いのです。

可能性の域を出ませんが、マナー違反者の大半は心に『ゆとり』が無いのです。『ゆとり』を持てない原因や環境があるのです。仕事が忙しすぎてギスギスしているのかもしれません。だとしたら、それを改善する協力をしてあげられれば、心に『ゆとり』を持てるかもしれません。相手を気遣う心を持てれば自然とマナーを守るようになるかもしれません。

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食事の時、いつも必ず食い散らかす人っていますよね。箸の使い方が下手なだけかもしれませんが、そう言う人も、子供の頃、親に構って貰えなかったのかもしれません。お母さんがご飯を作っている姿をちゃんと見ていたり、お皿を洗ってくれたりしている姿を見ていれば、感謝の気持ちも湧きでてくるものです。汚らしく食い散らかしたら片づける人が困ることも想像できます。それらが理解できれば、箸の使い方が下手でも食い散らかしません。残さず食べようという意識になるでしょう。

どうしても残したいときでも、食い散らかさず、キレイに端に寄せるなどの配慮は出来ます。家族団らんで心が満たされていれば、お母さんがマナーを教えてくれたかどうかという問題だけでなく、心に『ゆとり』があるので、周囲に気を使った食べ方を自然と身につけることが出来るのです。食事を単なる栄養補給でお金さえ出せばお手軽簡単に食べられると思って生きて来た人は、孤独な経験ゆえに食べ方が汚いと周囲にどのような影響を与えるのかと言う配慮すら思い浮かばないのです。

もちろん、これは例え話です。必ずしもそういうわけではありませんし、プロファイリング技法に基づいているというわけではありません。しかし、幼少期はどうあれ孤独を感じていなくて、人間関係に満たされていてストレスが少ない人は食い散らかすイメージってあまり無いのではないでしょうか。

人間の心は行動に大きな影響をします。必ずしも病名が無いから生活の質(QOL)が高いわけではないのです。自分自身の心の在り方をしっかり普段から見つめ、他者に対する思いやりを持つ。心に悪影響を与える何かがあれば信頼できる誰かに相談する。それが大事なのです。

「答えは自分の心の中にある」と言います。同時に「人生は心が決める」と言う事も覚えておいてください。

 

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