ココロセラピストが語る!『心と人生の質(QOL)』とは?

目には見えない心の問題。心豊かでありたいとは思っていても、乗り越えなければいけ ない壁は次から次へ……。本当に切実な問題なのです。
ココロセラピストが語る!『心と人生の質(QOL)』とは?

 

心の問題とは?

僕たちにはいつも試練が与えられています。試練を与えているのが神様なのか偶然なのかはわかりません。でも、乗り越えるべき壁は次から次へとやって来ます。

心の時代と言いながらも、心豊かな時代になったかと言えば、決してそんなことはありません。自殺者は毎年3万人くらいいると言われています。実際はもっと多いかもしれません。心に病名がついている人も数え切れません。これらは本当に切実な問題です。

心の問題と言うと、そのようなイメージがあると思います。しかし、心の問題というのは、本当はそんなに狭いモノではないと僕は考えています。

一歩外に出れば歩きスマホや歩きタバコ等、マナー違反者がウヨウヨいます。道端にゴミを平気で捨てて行ったり、お店屋さんの商品棚に平気で飲みかけのペットボトルを置いて行ったり。電車の中でも、i-padで音漏れしながら洋楽のプロモーションビデオを流していたり。驚くべき事に、これらは若者だけではなさそうです。時々、マナー違反を見かけると何割かは中高年です。

このような、些細に見える問題も立派な心の問題です。「それはマナーの問題から心の問題じゃないよね」と思うかもしれません。けれども、ちょっと考えてみて下さい。確かに文化によってマナーは違って来ますし、時代とともに価値観も変わってくるものもあります。それでも、心豊かな人というのは、品行方正で無くとも誰かに言われるまでも無く、最低限のマナーは守っているものです。では、マナーをきちんと守っている人と守らない人の差というのは一体何なのでしょうか。

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マナーを守る人は『ゆとり』?

小さな頃から家庭や幼稚園などでしっかりとマナーを学んできた人たちは比較的マナーを守ると思います。たとえばですが、タバコのポイ捨てを迷惑行為だと言う認識が出来ない人にとってはマナー以前の問題ですし当然罪悪感すらありません。そう考えると教育的側面はとても重要と言えそうです。

ここまでは誰でもわかると思うのですが、重要なのは次です。マナーを知識としては知っていても守らない人たちはどういうことなのでしょうか。仮説の域を出ませんが、ここに心が関係して来ると言いきって良いと思います。マナーを守る人と守らない人の心のあり方の違いは『ゆとり』です。この言葉を聞くと、空気が読めない人とか、自主性が無く指示待ちな人とか、指示を出してもモタモタしていて何もできない人とか、そういう悪いイメージを連想するかもしれません。俗に言う『ゆとり世代』のイメージですね。でも、本来『ゆとり教育』の最終ゴールは、そういう人間を増やす事ではなかったと思います。何処かで誰かが、もしくは自分自身が方向性を見失ってしまったのでしょう。

『ゆとり』とは余裕があって窮屈では無い状態の事を言います。本来は悪い意味では無いのです。ですので、本当の意味で心に『ゆとり』がある人は善意について考えたり行動したりする余裕があるので、マナーを守るのです。

心に『ゆとり』が無い人は、自分の事以外考える余裕が無く、心がギスギスしているのでマナーという概念に意識が向きません。他人の迷惑になることは極力控えようという想いに至らないので、平気で歩きスマホをして自分から人にぶつかっても「あなた、気をつけて歩きなさいよ! 」といった顔をして平然としていられるのです。歩きスマホの例で考えると意識が道(自分の周辺)に向かっておらず、スマホに向かっているのです。つまり「心、ココにあらず」の状態なのです。心と身体が切り離されている状態で生活していたら危険なのは当たり前なのです。

僕は本当にタバコが苦手です。なので、歩きタバコの人と遭遇すると咽こむ事も多いです。あからさまにゲホゲホするとわざとやっているみたいで良い気分ではありませんが、あまりの臭さに耐えられないのです。歩きタバコの人が前を歩いていたら本当に最悪です。吸い終わるまでひたすらタバコの煙が流れて来ますからね。

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先日、歩きタバコの方がいて、不運にも僕の前を歩いていたので言うまでも無く具合が悪くなりました。変に指摘して喧嘩になるのもイヤですし(そもそもそのように相手に対し警戒してしまう自分さえ嫌になります)距離が離れるまで立ち止まっても、結局煙を吸って具合が悪くなってしまいますし、耐えきれず反対側の道路に移動しました。

これで安心と思いきや、なんと! 歩きタバコの人も何故か僕と同じく反対側の道路に移動してきたのです。ゲホゲホと咽込み、涙で目がかすんで前が見えなくなり、立ち止まらざるを得なくなりました。僕の意識が我に返って周囲を見渡すと、路上喫煙の人は何処かで曲がってくれたのか、いなくなっていました。でも、それでも臭いなと思っていたら、なんと! 火のついたままのタバコがポイ捨てされていたのです。僕に言わせれば、それはもはやマナー違反でもなんでもなく、煙幕や手榴弾で無差別攻撃されたようなものです。

歩きタバコの人は、リラックス目的なのか何なのかは不明ですがタバコに意識が集中してしまっているので、やはり「心、ココにあらず」状態なのです。周囲の状況を把握する『ゆとり』が無いのです。