ココロセラピストが語る!
『バイロケーション』とは?

「もう一人、私が欲しい……」もしかしたら、そのセリフ、知らず知らずの内に口癖になっていたりしませんか?自分が二人いたら、同時に二つタスクがこなせる。おそらく、多くの方がそのように考えると思います。しかし、よくよく考えればわかるのですが本当に可能なのでしょうか。
ココロセラピストが語る!<br>『バイロケーション』とは?

もう一人、私が欲しい……。

「もう一人、私が欲しい……」と。特にこのような発言はビジネス・パーソンに多い気がします。自分がもう一人存在したら、今とは違った道を歩いて行けるような気がしてくるのかもしれません。
もしかしたら、あなたもそのセリフ、知らず知らずの内に口癖になっていたりしませんか?

 

コピーロボット

藤子・F・不二夫の不朽の名作パーマン。知っているのを前提に話を進めます。パーマンの作中にコピーロボットというアイテムが登場します。コピーロボットは人形です。鼻がスイッチになっていて、押すと人形が自分そっくりな形状になります。形状だけではありません。記憶や能力も、そして性格までもがすべてコピーされます。つまり、自分が二人になるのです。パーマンがヒーロー活動をしている間、コピーロボットが本人になりかわって日常生活を営みます。

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さて。これで自分が二人になったから思い通りに行動できるかと言うと、決してそういうわけではありません。たとえば、本人が怠け者だった場合、コピーも怠け者です。学校の宿題を忘れる習慣があればコピーも宿題を忘れます。そうなると、結局先生に怒られます。後でコピーに「なんで宿題をやらないんだ!」と不満をぶつけたところで意味は無いのです。もう一人の自分なのですから。

 

自分が二人いたら、平等は存在するのか?

ここで考えて欲しいのです。自分が二人いたら、同時に二つタスクがこなせる。おそらく、多くの方がそのように考えると思います。しかし、よくよく考えればわかるのですが本当に可能なのでしょうか。マルチタスクを分業制にするというアイディアは素晴らしいと思います。

しかし、自分が二人なら当然、物事の優先順位や好みも同じなので、その時点で問題が発生します。不平等が発生してしまうのです。喧嘩になりますよね。自分同士で。自分が知的で思い遣りがあるとすれば、話し合いでバランス良く解決できるかもしれません。でも、そんなに簡単では無い気がします。

たとえば、仕事で自分と誰かがコンビを組んだとします。自分が得意で相手が不得意な作業があれば、自分が得意な方を請け負う等してフェアな分業に思えるかもしれません。これは、自分と他人の関係だから成立するのです。自分対自分の場合、得意も苦手もまったく同じなので、やはり苦手分野を任された方は不愉快な気持ちが少なからずあると思います。

また自分がオリジナルかコピーかと言う視点で行動してしまうと、同一の存在にも関わらずコピーの人格を何処かで認めていない気もします。つまり上下関係が存在している時点で平等では無いのです。理屈ではわかっていてもコピーのアイデンティティが傷つくことも考えられるので、すべてが穏便に行くとは限りません。

 

バイロケーションとは?

バイロケーションと言う言葉を聞いたことがあるでしょうか。超常現象の一種なのですが、簡単に言うと、もう一人の自分が勝手に現れて動き回る現象のことです。

wikiにもあるくらいなので、もしかしたら有名な言葉なのかもしれません。2014年に同名の映画(日本)も作られました。結構面白かったので興味のある方はレンタルしてみてください。

補足すると似たような存在でドッペルゲンガーと言うモノがあります。あれももう一人の自分が存在する現象です。違いは、ドッペルゲンガーは基本的にオリジナル(本人)の前に現れないのに対し、バイロケーションは自分の周辺に現れるのだそうです。

映画版の設定で言うと、バイロケーションは自分の中で相反する感情が強くなりすぎて、引き裂かれると発生するそうです。ということは、こちらはロボットでもなければクローンでも無く、自分自身の分身とも言える存在です。自分自身とも同じ存在ではありますが、自分であって自分では無いわけです。

相反する引き離された自分(敵対した自分とも言えますね)なのですから。しかもバイロケーションは自分をオリジナルだと思っているので、コピーロボットのように簡単に消すことはできません。

 

バイロケーションがいたら嬉しいのか?

バイロケーションというのは、要するに抑圧されたもう一人の自分です。抑圧された自分を切り離して、そっちはそっちで生きてくれてありがたいと思えるでしょうか。思えませんよね。

バイロケーションは、抑圧された自分が人格を持って動き回れるのである意味危険な存在です。分かち合う事も不可能では無いのかもしれませんが、それはとても難しいことだと思います。そもそも、抑圧された自分自身と向き合えないから、バイロケーションが発生してしまうわけですから。

 

やっぱり私は私だけで良い!

そのように考えると、やはり最終的には「私は私だけで良いのかもしれない」と思えて来ませんか。自分と言う存在が同時に複数存在する必要性は、実はそれほど無いのではないかと思います。

「もう一人、私が欲しい……」というのは何らかの理由があると考えられます。忙しくて誰かの手を借りたいが助けて貰えそうな相手がいない。もしくは相手はいるが、その人物と一緒に行動すると事が余計にややこしくなるから出来れば自分だけで何とかしたい。そのような状況ではないかと思います。そのような時は「自分がもう一人いたら便利(or楽)なんだけどな」と思ってしまうのかもしれません。

けれども、本当は違うのです。自分を増やしても物事が円滑になるわけではないのです。

もし、忙しいなら助けを求められる仲間を普段から作っていれば解決するのです。本当に困った時に助けてくれる相手がいないことの方が問題なのです。人間は独りでは生きていけません。それは自分が二人いてもおそらく同じことです。共に助け合える関係を日頃から作って行くことが大切なのです。

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もし誰かと関わるのが厄介だから自分だけ(もう一人の自分と組む)で物事を進めようと思うのも気持ちはわかりますが、コミュニケーション能力が低下してしまっているのが原因です。もし、たまたま理解し合えないような特殊な人間と関わってしまったら運が悪かったのかもしれませんが、仮にそうだとしても、そのことを誰か相談出来れば、少しは可能性が開けてくると思うのです。

もしかしたら、自分を追い詰め過ぎてしまっているから、もう一人の自分を欲してしまうのではありませんか。自分一人の力ではどうにもならないようなことを独りで抱え込んでしまってはいませんか。

もし自分自身のことをきちんと深く理解していたら、自分を増やすことよりも、自分を見つめ直して軌道修正した方が良いと思いませんか。

等身大の自分を把握して、労わって、時には誰かと助け合って行けたら、自分が二人いる必要なんてありません。自分自身と平等不平等を揉めることも無ければ、抑圧された自分に襲われる必要もないのです。

あなたはあなたとして存在して下さい。人はもしかしたら、自分を見失いそうな時にもう一人の自分を求めてしまうのかもしれません。

そのような時は、自分を大切にしてあげてください。人生は迷宮です。ずっと迷い続けます。でも、自分の道というのは、きっと存在するのです。

自分が追い詰められ過ぎたり、自分を見失ったりした時は、カウンセリングを受けるなりして、自分自身を見つめ直して下さい。バイロケーションが発生する前に。

 

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