ココロセラピストが語る! 『十人十色とコミュニケーション』とは?

決められた枠の中で生きるのが良いのか、個性を尊重して自由に生きるのが良いのかという問題もありますが、望むと望まざると元々人間は色々なタイプが存在するのです。それを受け入れる事がコミュニケーション能力上達への第一歩だと思うのです。
ココロセラピストが語る! 『十人十色とコミュニケーション』とは?

コミュニケーションが難しい理由とは?

人間が生きて行く上で大きなストレスの原因となるものの中に『人間関係』があります。学校や会社に行っても、部活やサークルに行っても、ママ友や御近所づきあいにしても、家族間にしても、何処行っても、コミュニケーション能力が問われます。コミュニケーションの質で人生は大きく左右されてしまいます。

コミュニケーションが得意とは言い難い。コミュニケーションの重要性は頭ではわかっていてもなかなかうまくいかない。そういう方も多いと思います。

これは僕の考えすが、その原因として多様性の問題があると思います。簡単に言うと十人十色ということです。
世の中にはいろいろな人がいます。金子みすゞも「みんな違ってみんないい」と言っていますよね。学校などでも「個性は大事だよ」と教えていると思います。福祉分野でも「障害は個性」と言っている人もいます。

しかし個性は大事と言いながらも、それほど尊重されていないのが現実です。そうなって来ると、僕たちは当然矛盾を感じます。

「みんな違ってみんないい。なのに、みんなと違うと差別されたり迷惑がられたりするよね。やっぱり個性なんて重要視しない方が良いのかな。みんな同じような感じに統一した方が良いのかな。でも、それって苦しいよね。じゃあ、どうすればいいの?」

言葉にこそしないかもしれませんが、何処かでそんなふうに感じている方も多いと思います。この息苦しさは幼い子供でも感じているかもしれません。

「ありのままで良いのよ」と、言ったような概念も流行っています。そもそも、このような言葉がはやったという事は、裏を返せば少なからず現在も偽った自分を演じ続けなければならない背景が存在しているということでもありますよね。

個性は大事です。個性とは誰かに強制された状態ではありません。まさに、ありのままなのです。言うなれば自由です。ただ、僕たち人間は自由を望みながらも自由を自在に操ることに未だ慣れていないのです。自由には当然、自己責任が伴いますので、それに対する不安や恐怖も少なからずあるのだと思います。サルトルという哲学者も「人間は自由の刑に処せられている」と言うどこかネガティヴにも感じとれる言い回しをしていますよね。

そうなるとある種の規範めいた人たちと接するときに個性重視の人が接すると、価値観が異なりますので衝突する可能性が出てきます。規範めいた人たち同士でも、グループによって規範が異なると、自分とは違う規範に生きている人たちはアウトローに見えてしまうかもしれません。つまり、衝突するリスクが高いと感じるからコミュニケーションが難しいと感じられるのではないかと思うのです。

コミュニケーションをより良くするために

結局のところ、決められた枠の中で生きるのが良いのか、個性を尊重して自由に生きるのが良いのかという問題もありますが、望むと望まざると元々人間は色々なタイプが存在するのです。それを受け入れる事がコミュニケーション能力上達への第一歩だと思うのです。

そもそも規範や秩序というものは、「ある程度まとめた方が動きやすいよね」という発想から来ていると思います。カオスすぎると世の中が大混乱になってしまいますからね。そう考えると個性というものが悪いものだから規範を作ってみんなを同一化しようとしているわけではないのかな、とも思えて来ませんか。だとしたら、反社会的・非人道的出ない限り、ある程度は個性を尊重しても問題無いと思います。

今の時代の流れから行って個性がもっと市民権を得てきたら、余計に色々な考え方のヴァリエーションの人が増えて、ますますコミュニケーションが難しくなるのではないかと不安になる方もいらっしゃるかもしれません。

僕は、どちらかというと、もっと色々な考え方の人が自由に暮らせる社会になることを望んでいます。みんながみんなであからさまに違う価値観で生きていたら、必ずしも話が通じなくなるかというと、決してそのような事は無いと思うのです。

むしろ、自分の言い分をきちんと主張しても本当の意味で許される社会であれば、お互いが自分を偽らず生きられるので楽になるとさえ思います。

相手と違う意見を言ったら争いや戦いになる。これがコミュニケーションの難しさだとするならば、言いたい事を言っても戦わなくて済む環境を目指した方が良いです。

勘違いしないで欲しいのは、僕は決して全員と仲良くしなさいと言っているわけではありません。それこそ、嘘くさいですし、相性を否定してしまう事になるからです。単純に考えればわかることですが、恋人や結婚相手は自由に選びたいですよね。

決して誰でも良いわけではないのです。「誰だって良いじゃない。みんなと仲良くしなきゃ。あなた、○○さんと結婚しなさい」と急に結婚相手を勝手に選ばれたら、少なくとも僕は嫌です。無理に仲の良いふりをして本当は興味も関心も無い人と暮らすなんて、誰だって嫌ですよね。仲良くできない人がいたとしても問題無いのです。仲良くできない人がいても、その人がその人の幸せを手にしてくれれば、それで良いのです。

苦手な人がいても良い。嫌いな人がいても良い。関わりたくない人がいても良い。

どうしても関わりを断てない場合は時には妥協も必要ですが、相手に屈する必要はありません。相手を服従させる必要もありません。お互いが、お互いの妥協点を意識し、可能な限り相手を尊重し、受け入れられるところは素直に受け入れ、お互いにとって程よい距離感で接し、お互いにとっての不利益を出さず、お互いがWin-WinでHappy-Happyであるためには、どうしたら良いかを考えれば良いのです。
「あなたのためを思って言っているんだ!」と相手の受け入れがたい条件を押し付けてはいけません。状況に応じて、引く時は引いて下さい。付かず離れずの関係であったとしても、そこに憎しみが介入しなければそれほど問題にはならないと思います。そうやって、みんながみんなでバランスを取ってい行こうとする意識を共有意識として持つように心がけて行けば、価値観や個性の多様化もコミュニケーションを難しくすることは無いと思うのです。

なげやりにならないで!

「私は相手のためを思っています。妥協するところは妥協しています。争いにならないように努力しています。もちろん陰口も言いません。イヤなことがあっても決して攻撃を仕掛けたりはしません。相手の言い分にも耳を傾けていますし、相手の要望にも可能な限り応えています。でも、相手が変わってくれなきゃ、結局は自分が意識や行動を変えても意味なんて無いですよね?」

と言いたくなる方もいらっしゃると思います。その気持ちはよくわかります。ただ「意味なんて無いですよね?」のところは少し意見が違います。それは誰にもわからないのです。

どうしても程よい距離感を掴めず、一触即発の関係でしたら関係を断つという選択肢もあると思います。最初から「ダメだ、この人……」と相手を否定したのでなければ、今までの努力は決して無駄ではありません。火に油を注がなかっただけでも成功体験だと思います。

大切なのは、不要な争いをせず、お互いがお互いの幸せを掴めるようにという意識を持ち続け、普及させていく事です。これは自分の世代だけの話では無いのです。

もし、自分や子孫たちが、お互いという存在や個性、意見を尊重し、バランス良くコミュニケーションを取って行こうという意識を定着できたら、その時こそ「ありのままの私」がコミュニケーションをストレスに感じなくなる時だと思います。

前回の記事はコチラ:
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